パソコンボランティア入門セミナー

第1回目
日時 2002年3月30日(土) 10:00〜15:00
場所 障害者スポーツ文化センター横浜ラポール 2階大会議室
■ 主催  横浜ラポール
     ピアネット・ドリームナビゲーター横浜




10:00  開講
       ごあいさつ   横浜ラポール企画課長 新井通 夫
               ピアネット代表  小川美紀雄




10:20  講演
       「パソコンボランティアを実践するには」
            講師:梅垣まさひろ
               (川崎パソコンサポートボランティア代表)




11:20 県内パソコンボランティアグループ活動紹介
       1.青葉ユニバーサルコミュニケーション 四方田正夫
       2.川崎パソコンサポートボランティア  安部雅寿
                           弥津順子
       3.鶴の恩返し             兵藤啓一
       4.鶴見パソコンボランティア協会    中村嘉男
       5.パラボラ相模原           森田政記
       6.ほどがやパソボラ          市原昇
       7.ドリームナビゲーター横浜      大谷愛美
       8.ピアネット             岩田みどり
12:30  === 休 憩 ===(1時間)




13:30  パネルディスカッション
    「これからのパソコンボランティアは?」
        司会:佐々木夏実(ドリームナビゲーター横浜代表)
        パネラー:梅垣まさひろ(川崎パソコンサポートボランティア代表)
            丸山訓英  (川崎パソコンサポートボランティア)
            岡村道夫  (ドリームナビゲーター横浜事務局長)
            小川美紀雄 (ピアネット代表)
            菅谷あゆみ (ピアネット)
15:00  閉講


*開会挨拶*

(寺沢)そろわれたようなので、早速始めさせていただきたいと思います。本日は「パソコンボランティア入門セミナー」にご参加いただきまして、ありがとうございます。今回大変たくさんの方の応募をいただきまして、既に地域でパソコンボランティアとして活躍されている方、またこれから始めたいと思っていらっしゃる方など、多くの方のご参加をいただきました。今日は、ピアネットさんをはじめ、地域のパソコンボランティアグループの皆さんの大変たくさんの協力をいただきまして、今回のセミナーを開催することができました。ですので、より具体的で興味深いお話がいろいろと伺えると思います。皆さまのこれからの活動に今日のセミナーが少しでもお役に立てればと思っております。
 申し遅れましたが、私、横浜ラポールの寺沢と申します。どうぞよろしくお願いいたします。
それから受付の方で皆さまに資料をお渡ししたのですが、お手元にそろっているでしょうか。黄色い表紙でとじてある資料といくつかのチラシがあると思いますが、そろっていない方は手を挙げていただきたいと思います。
 それではまず開講にあたりまして、私ども横浜ラポールの企画課長荒井の方から開講のごあいさつをさせていただきたいと思います。

**横浜ラポールは障害者がIT技術を活用できるように支援サポート**
(荒井) 皆さん、おはようございます。横浜ラポールの企画課長の荒井と申します。よろしくお願いします。今日はたくさんの方が集まっておられるので、正直言って感動いたしました。この「パソコンボランティア入門セミナー」の主催者を代表いたしまして、一言ごあいさつを申し上げます。
 ラポールではIT社会の進展に対応いたしまして、障害者がIT技術を有効に活用できるように支援、サポートするための事業を実施しております。平成12年度にDream Navigator Yokohamaさんのご協力をいただきまして、パソコンボランティアの養成講座をスタートさせました。この講座を発展、充実させていこうというのが今回のこの「パソコンボランティア入門セミナー」です。今回をはじめといたしまして、向こう4回、6月22日まで毎月1回実施されます。今日は第1回ということで、総論的な講演とグループ活動の実践の事例といったものをご紹介させていただいてセミナー全体の足がかりとしていただこうという考え方でございます。第2回以降は、いろいろな支援の在り方があろうと思いますが、障害別 の支援方法に応じて対応するパソコンの操作などを順次行っていこうと。いうなればパソコンボランティアの障害各論といったことになろうか思います。ご期待していただきたいと思います。
 司会からも申し上げましたように、皆さま方にはこのセミナーを通じまして、今後障害者のパソコンボランティアといった立場で障害に応じたサポート活動などを中心に実践していただければという考えでございます。
 結びにあたりまして、このセミナーを共催されましたピアネット、あるいはご協力いただきました各種ボランティア団体の皆さま方の活動に敬意を表しまして、今後とも何かと障害者のためのパソコン活動を支援するお立場でご活躍されることをお願いいたします。また、皆さま方も今後、パソコンボランティアでご活躍されることを期待いたしまして、開講にあたりましてのごあいさつとさせていただきます。ありがとうございます。よろしくお願います。

(寺沢) ありがとうございました。それでは、早速セミナーを始めていきたいと思います。ここからは、ラポールでもいろいろなイベントでご協力いただいていますDream Navigator Yokohama代表の佐々木さんの方に司会をお譲りしたいと思います。佐々木さん、お願いいたします。

(佐々木) 皆さん、おはようございます。まだ寝ていらっしゃる方もいるのではないかという感じですが、今日は気持ちよく晴れていますので、ぜひ充実した会にしたいと思います。今日は午後までいろいろと企画もありますので、長丁場でいきたいと思いますけれども、よろしくお願いします。
 それでは、「パソコンサポートボランティア」、「パソボラ」といろいろな表現が使われていますが、主催というかたちで準備してきました小川さんから、今回のようなセミナーを企画した経緯について簡単にご紹介していただきたいと思います。では、小川さん、お願いいたします。

**セミナーを企画して**
(小川) おはようございます。ピアネットの小川と申します。個人的な話をさせてもらいたいと思います。
 私がパソボラを始めたのは、1993年ごろで、もう9年になります。そのころはパソコン、コンピューターというと、「人を管理する怖い物」と言われていたと思います。皆さんもそうだと思うのですが、私たちの考え方はそのころから、パソコンは「人の可能性を開く道具」だと思っています。特に障害を持っている人にとっては自分のコミュニケーション手段になったりして、どんどん可能性が開けるものだと思います。そう思ってやり続けてきました。そして、今日を迎えたのです。
 後でボランティアの皆さんが自分たちを紹介すると思いますが、この企画には、神奈川県内のたくさんの団体がかかわってくださっています。それから、資金の面 では電気通信普及財団から助成金をいただきまして、この企画を運営させていただいています。
 ピアネットでは、パソコンボランティアだけではなく、障害を持っている人が社会参加や自立をしていくために、一つの在り方としてパソコンを使って在宅就労ができないかということも考えています。ですから、パソコンボランティアの一つの在り方としてそういう就労を目指すものがあっていいと思いますし、一方で、サンダル履きで行けるような所に僕らが出向いてボランティアができる、もしくは仲間になって帰ってくるといった活動ができるといいなと思っています。そのような願いを込めて、全4回のセミナーを開催したいと思います。皆さんは80名以上の参加応募から抽選で選ばれた方々です。一緒に学べることをとてもうれしく思います。

*梅垣さんのプロフィール*
(佐々木)それでは、最初に「パソコンボランティアを実践するには」ということで梅垣まさひろさんから約1時間にわたって講演をしていただきます。神奈川県内は全国的にもパソコンボランティアが活発で、いろいろな地域にいろいろな団体がいろいろなかたちで活動されています。そうした神奈川県内のパソコンボランティア団体の方にしゃべらせたら2時間でも3時間でもしゃべる方たちですが、あえて今回7分間という制限をつけさせていただいて、その中でどのような活動をしているのかということをご紹介いただきます。その後、お昼を1時間とらせていただいてから、パソコンボランティアをこれからどのようなかたちで活動をしていくのかということを少し皆さんと一緒に考えてみようと、パネルディスカッションを企画しております。終わりは3時くらいになるかと思いますが、皆さんと一緒に勉強していきたいと思います。
 それでは梅垣まさひろさんに「パソコンボランティアを実践するには」というかたちでお話をしていただきたいと思います。
 講師の梅垣さんを簡単に紹介いたします。年齢39歳ということで、あらためて、「ああ、もう梅垣さんもこういう年になってしまったのか」と思いました。私自身も梅垣さんと10数年来のお付き合いですが、最初に会ったころは若かったなという感じがしました。
梅垣さんと最初に会ったのはパソコンの上でした。「パソコン上」と言うと、パソコンに乗っているような気がしますがそうではありません。当時はまだインターネットなどはなく、パソコン通 信という時代でした。そこで梅垣さんと会いまして、随分マニアックな、オタクな人だなと思いました。初めて梅垣さんに出会ったのは横浜の中華街でした。なぜか中華街で会ったら、全然オタクの雰囲気はない、好青年が立っていました。もう10年もたつと随分おじさんになったという気もします。
 梅垣さんは、多分神奈川県内で一番初めに川崎でパソコンサポートボランティアの団体を立ち上げて、今日でも年間300数名の方をサポートするような団体の代表としていろいろなかたちでパソコンボランティアをしています。その一方で、いろいろな本や雑誌等々にも執筆されて、いわゆるごく普通 のパソコン雑誌の中に障害者の話題が出てくる記事をいろいろなかたちで書かれているということが一つの特徴かなという気がします。そのように日本の中でもいろいろなかたちで障害者のパソコン利用について取り上げておられる方ですし、お仕事の方もそれにかかわったことをいろいろとされているわけです。今日はその梅垣さんにパソコンボランティアとは何かということを含めて、いろいろとこういうことを話してくださいとこちらからは言っています。ご本人は「大変だ」と言っていましたが・・・。それでは梅垣さんにお話いただきたいと思います。よろしくお願いします。




*パソコンボランティアを実践するには
  講師 梅垣まさひろ(川崎パソコンサポートボランティア)

**はじめに**
(梅垣) おはようございます。梅垣でございます。大変な紹介をされてしまいました。小川さんも佐々木さんも、お二人ともお話がじょうずなものですから、私の話は眠くなるのではないかなと思います。長いですが1時間お話をさせていただきたいと思います。私はもともと関西人ですから、おしゃべりをするとだんだんと関西弁になってしまうのですが、ご容赦いただきながら、大いに脱線しながら話を進めたいと思います。もしかすると要約筆記の方泣かせの話なのかもしれません。
 試合が始まって、ピッチャーが1球目を投げます。その1球目を打たなくてはいけないのが一番手の仕事です。私がこの入門セミナーの一番手としてバッターボックスに入りました。イチローになれればいいのですが、なかなかそういうわけにはいきません。せめて、一生懸命に走って1塁でセーフになるように、皆さんにお話したいと思っております。ただ、1番バッターというのはどのような球がくるのかわからないので、できれば非常に冷静で心落ち着いた人がいいみたいです。イチロー選手など本当にいつもコンスタントで動じない性格だと思います。
 早速脱線していますけれど、パソコンなどを使う情報機器の障害者、高齢者に対応した機械が開発されて、昨日東京で「福祉情報化フォーラム」という展示会がありました。私は説明員でした。私の作った機械は別 にいいのですが、その隣に宣伝ではないのですが日立製作所さんがある機械を持ってきていました。それはどういう機械かと言いますと、頭にベルトを巻いて、脳の血流量 を測定するものです。人間というのは、頭の中で計算をしたり、何か考えると脳の血液がたくさん流れるそうです。ちょうどこのあたりを測定するのですが、人間の脳が活性化するとここにたくさん血が流れます。これを、光ファイバーというものを使って検出する機械です。医療機器ではありません。それで一体何をするのかと言いますと、その人の脳が今静かな状態なのか、すごくたくさんいろいろなことを考えている状態なのかという2つの状態を判別 するのです。
 「脳血流センサー」というのですが、どういう人に使うのか、どうしてそのような物が作られているのかと言いますと、ここにいらしている方はご存じかもしれませんが「ALS」という難病があります。40歳ぐらいの男性の患者さんが多いです。多分漢字では出ないのではないかと思いますが、「筋萎縮性側索硬化症」という病気で難病です。私も先ほど紹介されましたが、来年は40歳ですので、もうそろそろALSの可能性は高くなっています。ALSになると、例えば最初は何か持っていた物をポロッと落とすというようなことから始まるのですが、体全体の筋肉が動かなくなってきます。どんどん動かなくなって寝たきりになりますし、自立呼吸ができなくなるので人工呼吸器を付けます。人工呼吸器を付けると、ご存じのように、会話がうまくできなくなります。それでもまばたきをしたり、目で合図したりできるのですが、そのうち眼球が動きにくくなります。最後に眼球の動きとか、肛門括約筋というものが残る、隣の横浜リハビリテーションセンターに、前にいらした畠山先生に教わりました。
 ALSは筋肉が動かなくなる病気ですが、脳はクリアです。体は全く自分で動かすことができなくなります。ご家族の方は、この人は今おしりがかゆいのか、何がしたいのか、体位 を変えたいのか、こっちを向きたいのかというようなことも、本人からは知ることができなくなってしまいます。しかし脳はクリアなので、頭の中で安静にしていたり、何か計算をしていたりするという2つの状態が作れます。それでイエスかノーかを判定するという大変な病気を助けるための機械です。そのような機械は最近徐々に開発されていて、その一つが、日立さんの開発されている「脳血流センサー」です。これはそのような患者さんにとってはまさに自分の意志を伝えるためのものすごく大事な道具です。
 私も脳血流センサーを試してみました。センサーを付けて、日立の存じ上げている方に「梅垣さん、じゃ、まず安静にしてください」と言われて、静かにしています。そして、あるところにくると「それじゃ、一けたの足し算をしてください」と言われて足し算をします。そして、「はい、やめて。また安静にしてください」と言われてまた静かにします。ところが、どうも私の性格はダメで、計算しなくてはいけない時間が近づいてきますと、だんだん緊張してくるのです。そして、脳波がワーッと出ました。「リラックスしてください」と言われるのですがリラックスできないのです。その後、「安静にできない性格ですね」と言われて、その脳波を測って性格判断をされているようでした。
 どういう話かというと、私はなかなか落ち着いて第1球目を打ち返せないかな、と少し思っています。できれば今日は総論を話してくれと言われたので、ちょっと脱線することを大事にしながらも、一応、総論を少しお話ししていきたいと思います。

***5つの質問***
 さて、まず皆さん方に話を始める前に5つの質問をしたいと思います。該当すると思ったら軽くお手を挙げてください。まず1つ目。人と話をするのが好きな方だという方は手を挙げてみてもらえますか。あまり恥ずかしがらずにどうぞ。では2つ目。私はパソコンが少し得意かな、多少はできる方かなと思われる方は手を挙げてみてくれますか。3つ目。だんだん難しくなってきますが、インターネットエクスプローラーは何かという問題もありますが、それをキーボードで操作する方法をご存じの方いらっしゃいますか。では4つ目。障害者、障害を持つ友人や家族がいらっしゃるという方はいらっしゃいますか。最後に、パソコンボランティアをしたことがある方、どうぞ。
 私はこれで今日はどんなお話をしなければならないかを知りたかったのです。恐らく全く初心者の方もいらっしゃるし、結構経験されている方もいるみたいですので具体的な話を多めにしながら進めさせていただきたいと思います。今日は大体、この5つの流れでお話をします。これは大変簡単なもので恐縮ですが、この資料の中に箇条書きで書かれているものと大体同じです。ただこの通 りに話が進まないかもしれません。

***障害者にとってパソコンとは何だろうか***
 さて、まずパソコンボランティアというお話をする前に、障害者にとってパソコンとは何だろうかということを皆さんと一緒に考えたいと思います。例えば視覚障害の方がよくおっしゃるのですが、今はインターネットができるようになって、その日のニュースを見ようと思ったら、そのニュースのホームページにアクセスすれば音声でニュースを読んでくれます。自分で見たい情報に自分が見たいときにアクセスできるようになりました。これはごく普通 のこととして視覚障害者の方は使っていらっしゃいます。ご存じかもしれませんが、これは本当に画期的なことだと言われています。

***自分で情報に直接アクセス***
 そうは言いましても、視覚障害者の方はラジオを聞けばニュースは聞けるし、テレビでも音は聞こえるので、テレビのニュースを聞けばそれなりに情報は取ることができます。毎日来る新聞を音にして配信するサービスもかつてはあったようですが、毎日のニュースを自分が見たいときにうまく見るということが、これまではあまりできませんでした。読みたい本を自分の読みたいときに入手する、本が発売されたらできればすぐに読みたいわけです。点字になったりテープになったりするのを待たなくてはいけませんでした。あるいは、そのための費用を負担しなくてはいけなかったのです。多分、この後3回目の視覚障害の回ですると思うのですが、今は実際に本を読みとって音で読んでくれる機械ができているのです。自分で情報に直接アクセスでき、情報を取得できるという意味で、ものすごく便利な道具になりました。便利な道具になったことで、例えば預金通 帳をある機械に読ませて残高を確認するとか、うちに来た郵便物がどこから来たのかというのを機械で読みとらせるとか、生活自体が変わり始めています。
 去年NHKラジオの教育第2放送で「障害者とパソコン」という6回ぐらいの放送がありました。その中で、ある視覚障害の方の話がありました。視覚障害の方には音楽好きな人が多く、CDが好きです。CDを買って聴くことが非常に楽しみの一つです。ですが、お店に行ってパッケージを見ても、触っても、CDはみんな同じ格好をしています。お店に行って選ぶことは楽しいけど、店員さんに全部説明してもらわなくてはならない。それがとても面 倒くさいというか、やはりおっくうなことなのです。ところがインターネットができるようになって、今はCDのサンプルのデータがインターネットで聴けて、いいと思ったらそのままオンラインで購入することが普通 にできます。ですから、視覚障害の方がCDを買うときに、インターネットを使って試しに聴いて、オンラインで注文すれば、もう翌日か翌々日にはそのCDが宅配便で送られてくるということもできます。あと、食材もオンラインで買えるようになりました。そういういろいろな生活をサポートするようなものがパソコンと、パソコンの先にあるインターネットで、すごくできるようになったのです。

***障害者にとって革命的な道具***
 例えば目が見えていて外出にそれほど不自由がなければ、お店に行って買えばいいことなのですが、それがしづらい方はそれをするのに物理的な段差やいろいろなバリアが社会の中にはまだあります。そういうものを越える道具としてもパソコン、インターネットは非常に便利なのです。便利さということだけではなくて、インターネットを通 じて、いろいろな人とコミュニケーションをとれるようにもなってきました。コミュニケーションというと、友達付き合いのようなことを想像されるかもしれませんが、例えばホームページで、自治体の情報にアクセスするとゴミはどうするかというような情報も全部見られます。ですから、例えば視覚障害の方が引っ越しても、そこの自治体のホームページをよく見れば、生活のことがある程度分かるのです。そういう中で、自治体や、いろいろな団体と個人のコミュニケーションを豊かにすることができる。いつもならばとても苦労することが、インターネットを使えることですぐにその情報を取得できるという便利さがあります。
 例えば車椅子の方は、駅にもエレベーターが設置されて外出もできるようになってというように生活が便利になってくると、やはり次はそのようなものを使って社会参加をしたり、仕事に就いたりということがもう見えてきます。物理的なバリア、交通 バリアフリーというものと、コンピューターを使った情報のバリアフリーという2つの考え方を広く普及することにより、この社会参加と就労ということが非常に大きく見えてきました。要するに、パソコンというのは障害者にとって生きていくのに欠かせないような、革命的と言っていい道具だということです。我々にとってもパソコンはとても大事な道具になってきていますが、それ以上に障害者の社会参加、就労とについてパソコンを使うことは、とても大事な役割を持っている。つまり障害者にとってはスペシャルな位 置を占めているということです。

***東大の先端科学技術研究センターの助教授福島さん***
 東大の先端科学技術研究センターの助教授になられた福島さんという方は、佐々木さんの教え子で、私の大学の後輩でもあります。ここ1年くらい、テレビにも随分と出られたのでご存じの方もいらっしゃると思います。彼は盲ろうです。見えなくて、聞こえないということです。何歳かは忘れましたが、割と幼いときに見えなくなり、確か18歳くらいで聞こえなくったそうです。その後、大学に進学されまして、今はこれほど偉くなりました。私の学年あたりでは出世頭だと思います(笑)。彼の話はとてもおもしろいので、福島さんがどこかで話をするとかぎつけましたら、ぜひ聞きにいってください。どうしてこれほどおもしろい人なのかというほど、おもしろい人です。

***盲ろうは、宇宙空間に一人ポツンと浮かんでいるような状態***

 彼が盲ろうの状態を説明するのに、次のようなことを言っていました。盲ろうというのは、宇宙空間に一人ポツンと浮かんでいるような状態だそうです。つまり感覚を遮断されているというのでしょうか。全く情報が入ってこない。自分から何も動かなければ全く情報が入ってこない状態です。実はこれは取材に行ったときの写 真ですが、彼はとても「握手」を大事にしています。握手をすると、その握り方、相手の手の大きさ、暖かさ、握るときの力の強さ、そういうものを直接感じることができると。そういうコミュニケーションはとても大事なので、彼はある程度握手で人の判断をしているそうです。もちろんそれだけではうまくいきませんので、「指点字」という技術を使っています。福島さんのお母さんが開発されたのですが、指の上に指を重ねて、本人に情報を伝えるという指点字をしています。

***活用しながら俺たちは生きているんだ***
 しかし、ある意味では究極の情報障害者です。その彼がやはりこうして大学にも進んで、そして現在は東大でこういう分野の研究をされるところまでに行くには、本人はあまりそのようには言いませんが、パソコンが本当に不可欠な道具だっただろうと思います。もちろん彼に言わせると「いや、パソコンは道具の一つに過ぎない。いろいろなものがあって、それを活用しながら俺たちは生きているんだ」というようなことをおっしゃいますが、しかし恐らくこのパソコンが福島さんにとっては非常に大事な道具だと。実際にこの取材に行ったときに少し見せていただいたのですが、電子メールがたくさん届いていました。点字ディスプレーというのも多分何回目かのお話ですると思いますが、そのメールをものすごい勢いで、点字ディスプレーで読みとっているという姿を見せてくれました。メールの中身を見てもいいのかと言うと、「いいですよ、いいですよ」と言うので見せていただきましたが、本当に友達同士の楽しい会話がメールの中に見え隠れしていました。

***人間というのは社会的な生き物***
 障害者のある方に限らず、人間と社会絡み合って生きています。人間というのは社会的な生き物ですから、必ず集団を作って、社会の中で我々は生きています。ですから、ここの中には「人と社会」と分けて書きましたが、もちろん我々は社会の中におります。ただ図式としては我々は社会との関係をいつも作りながら生活をしているし、生きているわけです。ですから我々は社会にいろいろな働きかけをします。社会の中にはもちろん友達や家族も入っています。家族、友達、国、自治体、いろいろな組織、会社など、いろいろなところに我々は働きかけをして、その働きかけの結果 を「レスポンス」と書きましたが情報として取得していく。こうして人間は「人間」なのです。福島さんはしゃべることができるのである程度の働きかけはできますが、社会からのフィードバック、レスポンスは非常に受けづらい障害者です。ところがパソコンを使って、社会との関係をうまく作ることができています。

***コミュニケーションは人間を発達させる***
 それを我々は「コミュニケーション」と呼んでいると思いますが、そのコミュニケーションをすることによって、人間は成り立っています。人間の根本にかかわる問題です。我々は毎日ご飯を食べて、いろいろな欲求を満たしながら、そのために生活をしているように見えて、実は人間からコミュニケーションを奪い取ると、「人間らしさ」というものが奪われることになると思います。
 それがどういうことなのか、もう少し深く考えてみたいと思います。例えばこのコミュニケーションや情報を扱うとき、小学校に入りたての子供たちがどのようにしてこういうものを取得していくのか。例えば、学校で国語の授業が始まりました。「さあ、ノートに書きましょう」と。このようにして漢字を1つ習います。すごく簡単な漢字。何から習うのか僕は知りません。「一」から習うのでしょうか。そして小学1年生は、「一」という字を書いて練習をします。さて我々は、そのノートに「一」と書くことなく、「一」という漢字を覚えるとことができるでしょうか。まだ小学1年生はいいです。今度は中学1年生になって、ノートを一切とらないで英語の勉強をしなさいと言われて、単語が覚えられるでしょうか。これは大変難しいと思います。
 我々はいろいろなことを認知したり、記憶したり、あるいは考えたりするときに、必ず紙に書いたり、こうやって私もしゃべっていますが、人にしゃべったり、あるいは人からしゃべったことを聞いたりして、人間は発達をしているのだと思います。こういうコミュニケーションというのは、人間を発達させるために欠かせない役割を負っていると思います。これは子供だけではなくて、大人になってからもやはり同じように。私がこういうことを言うとせんえつですが、「人生は何歳になっても勉強だ」とよく言います。まさに日々、新聞を読んで、メモを書いて、スケジュールを管理してということの中で、我々は新しい自分に毎日生まれ変わっている。それを支えているのがコミュニケーションだと思います。ですから、こういうことが人間にとってただ便利だから、パソコンを使って、インターネットを使うと便利だから障害者にとって大事だということだけではなくて、このコミュニケーションを操るということが、毎日、新しい自分を生み出し、人間が発達していくことにとって非常に大事な役割を負っている。だからこそ、障害者にとってパソコンは、必要不可欠な道具なのです。
 
***パソコンは「日常生活用具」***
 ようやくそのことを厚生労働省が認めてくれまして、肢体不自由者向けのワープロが「日常生活用具」といって、給付の対象になっていましたが、4月1日からパソコンも給付される対象になるそうです。肢体不自由の方だけですが、もしその枠に入っていれば、パソコンが日常生活の道具として給付されるようになります。
 
***パソコンを使うことは権利だ***
 そういうことを少しまとめてみますと、やはりいろいろな道具で便利なのですが、障害があるゆえに、いっそう便利なのですが、それだけではなくて、パソコンを使うことは権利だとか何とか言ってしまってもいいかなと正直思っています。情報にアクセスする。そこでコミュニケーションをとるということが、その人にとって保障されるべき権利かと思っています。パソコンを使うことが権利だとは思いませんが、その権利を、一人一人の人権を守って、障害者が豊かな生活をするための道具の一つと考えていいかなと思っています。
 
**どのように支援していくか**

***パソコンボランティアとは何?***
 その辺りを少し踏まえて、では、どのように支援していくかという話に移っていきたいと思います。
 まず、「パソコンボランティアとは何ですか」という基本の話になると思いますが、「障害者のパソコン利活用を支援するボランティア活動」と私は言っています。パソコンボランティアというものは、もうかなり普及してしまいまして、言葉はどこに行っても使われるようになりました。もちろん、「パソコンボランティア」と言って活動している人たちが、私がここで定義したものに当てはまるかどうかは分かりません。
 例えば、私は「川崎パソコンサポートボランティア」という所で活動をしていますが、そこで最初に活動を始めようかと思ったころも、川崎にはボランティアセンターというものがあります。そこから「ゼロ」という広報誌が出ているのですが、私がパソコンボランティアのグループを作らなければいけないかなと思っているころに、広報誌に「パソコンボランティア募集」という募集記事が載ったのです。「えっ、川崎にパソコンボランティアグループってもうあるのかなあ」とその時に思いました。ただ、そのパソコンボランティアというものは、「パソコンを使ってボランティアをする」という話でした。そういう使われ方で実際多くの自治体でパソコンボランティアを募集されたりすることがあります。
 もちろんパソコンボランティアという言葉の中に、「障害者」という言葉も入っていません。例えば小学校に行ってパソコンを教えるボランティアを「パソコンボランティア」と呼んでいるところもあるようです。高齢者のパソボラは「シニアネット」という有名なグループがあるので、どちらかと言うとそちらが大きいのですが、パソコンボランティアという名前で高齢者の支援をしているところもあります。それは、一つ一つ品定めして、「お宅のグループはパソコンボランティアって言っていいけど、お宅のグループはパソコンボランティアじゃありません」と言う筋合いは全然ありません。ですから正直に言って、いろいろなグループがあります。ですが、私どもが進めている活動はこれだと。そういうことです。
 
***障害があるためにパソコンを活用できない人を支援すること***
 どのような活動をしているか少しご紹介したいと思います。障害があるためにパソコンが使えなかったり、活用できない人を支援することが基本的な考え方です。
 少し小さい字で書きましたので私が読みます。例えば、パソコンを買いたいけれど、何を買ったらいいかわからない。それは、障害のない人でもみんなそうです。お店に行ったけれども、どれを買えばいいのかわからない。店員は高いのを勧めるのだけど。パソコンを買ってきたけれどもどうしていいかわからない。何か教えてほしい。何に使ってもいいかも分からない。パソコンの使い方が分からない。例えばワープロをしようと思ったけれども、どこをどうしていいか分からない。パソコンがうまく動かなくなった。分からないエラーが出て、パソコンが固まって分からなくなる。故障してしまった。電気が入らない。障害があるので特殊な入力装置やソフトウエアを使いたいのだけれども、どうしていいか分からない。このように、パソコンの周りには本当に「どうしていいか分からない」ことだらけです。私はパソコンに長くかかわっていますが、我々でもどうしていいか分からない、解決策がないということがしょっちゅうあります。ましてや障害があれば・・・。
 例えば、私はこういう経験があります。「パソコンを買ったのだけれども、箱から出して設置できないので設置してください」と言われました。その方は脳性マヒの方ですが、そういう障害のためにパソコンが使えない人を支援しようと。
 
***どこまで支援すればいいのか***
 では、「どこまでするのか」ということがあります。どこまで支援すればいいのか。そういうことを言っても誰でもパソコンは難しいと思っているし、誰でもパソコンで困ったことがあります。障害者でなくてもあります。私の思っている基準ですが、障害があるためにできないことを支援するという基本的な考え方はやはり大事にしたいと思っています。つまり障害があってもなくても自分で勉強をすればできることはあります。視覚障害者は見えませんから、本を買ってきて勉強するということはできません。視覚障害者は特殊なソフトウエアを使います。この特殊なソフトウエアは誰も教えてくれません。これは障害ゆえに、やはりサポートが必要なことです。
 
***制約を何とか乗り越えるためのお手伝い***
 あるいは外出できない、本をうまくめくることができないために勉強ができない方もたくさんいます。あるいはパソコン教室に行きたいけれど、パソコン教室に行くお金がない、パソコン教室が階段になっていて車いすでは上れないといったいろいろな制約がありますので、こういう制約を何とか乗り越えるためのお手伝いをしようということです。ですから、何でもかんでもパソコンのことはサポートしてあげます、まるで販売店やメーカーの代わりのようにサポートします、という活動ではありません。際限なくパソコンというものは困ったことが出てきますので、それを全部引き受けようとすると際限なくその方をサポートしていくことになります。そうではなくて、その障害のある方をサポートするということは、その方が自分でパソコンの問題を解決できる力を付けてもらうことが一番だと思います。ですから、ある程度サーポーすると、やがて自立してもらう。自分で解決できるようになってもらう。どうしても物理的にできないことなどもあります。そういうことは引き続きサポートしましょうと。そういうようなことを考えています。
 私が属している川崎パソコンサポートボランティアも、インターネットを見ることができるようになって、電子メールを打てるようになれば、大体サポートは終わりだと考えています。ですから、もっと難しいことを教えてくれと、例えばAccessという仕事で使うソフトがありますが、Accessを教えてくれと言われても、教えられることもあるし、お断りせざるを得ないこともあるし、それぞれいろいろです。
 
***パソコンボランティアというのはどういう組織か***
 では、全国にどのようなグループがどのようになっているのか、パソコンボランティアというのはどういう組織かを説明したいと思います。
 実はどのくらいグループがあるかは分かっていません。かつて、日本障害者協議会が出した『パソコンボランティアガイドブック』という本ですが、もう在庫がないそうなので、売れない・・・ありますか? まだあるそうです。私は在庫がないと聞いていますが・・・。後ろにあるそうです。これは手前みそですが大変良い本ですので、ぜひお手元に置いていただきたいと思います。
 これでボランティアグループがどのくらいあるか調べました。この本の後半にずっと一つずつ団体が紹介されていて、このように見開きで出るくらいですから、20、30くらいしかありませんが・・・。これを調べたときにもこのリストにない団体がいっぱいあるということがその後すぐにわかりました。私の想像ですが、100くらいはあると思います。もしかすると200くらいあるかもしれません。とてもいいかげんですけど・・・。調べる方法がもう、ありません。
 すごく小さいグループで活動しているところが結構あります。パソコンボランティアという言葉の範ちゅうに入るということを意識していない方もたくさんいます。そういうことを意識せず、障害者の方を支援している、活動している方は結構いらっしゃいます。あるいは、NPO法人にして、すごくしっかりとした組織を作って活動していらっしゃるようなグループもあります。いろいろです。
 
***活動も結構いろいろ***
 そのいろいろの中には、していらっしゃる活動も結構いろいろです。例えば、このDream Navigator Yokohamaは、パソコン相談会をすごく大事にしていまして、ここ横浜ラポールの会場で定期的にパソコン相談会をしていらっしゃいます。パソコン相談会は列ができるほど人が並ばれるそうで、いろいろなパソコンの相談に乗ったり、講習をしたり、そういう活動を中心にされています。
 ほかのグループで言いますと、例えば視覚障害者向けのインターネット教室のようなものをメインに活動されているグループもありますし、川崎パソコンサポートボランティアのように自宅へ押しかけサポートをしているようなグループもたくさんあります。いろいろな障害者の支援の在り方がありますので、いろいろなスタイルをみんながとっています。標準はコレということはなくて、その地域性やグループの構成によって、いろいろな活動がされています。
 
***「パソコンボランティア・カンファレンス」がきっかけ***
 では、そのパソコンボランティアの「全国ナントカ」などがあるかというと、実はありません。これをまとめている組織はありません。個々のグループや団体がそれぞれ勝手に横の連携を取っている、市民運動のような活動です。ですから、偉い人がいて、その人が全体を取り仕切ったりしているような活動では全くありません。社協に登録しているグループもあれば、社協に登録していないグループもありますし、ある意味ではそれぞれの自立性が大事にされて活動しています。ただ、そうは言っても旗振り役のようなものが必要なので、日本障害者協議会という障害者団体の連合会のようなものですが、ここがやや、旗を振って「やりましよう」ということで活動を進めています。この日本障害者協議会というところが、大体年に1回、「パソコンボランティア・カンファレンス」という企画をしていまして、そのカンファレンスをきっかけに少しずつ全国に活動が広まっていったという経緯は、後程お話ししたいと思います。
 
***川崎パソコンサポートボランティアの紹介***
 このようにそれぞれ活動をしていますので、今日、私は「パソコンボランティアってこういうことをやっています」ともう少し話しますが、それと皆さんが実際にかかわるグループと全然違うかもしれません。ですから、そこはぜひ押さえておいていただきたいと。けれども障害者がパソコンを何とかうまく使いたいということを支援するということに変わりはありませんので、ご自身の気持ちやこういう活動をしようと思ったきっかけと、グループに「どんな人がいるのかな」、「どんな活動をしているのかな」ということがうまくマッチすれば、多分うまくいくのではないかと思います。
 さて、こういう話が続いてしまったので、どういう活動をしているのかということを古いテレビ映像でお見せしたいと思います。今は名前が変わりましたが、「ボランティアマップ」という番組がありまして、平成11年9月9日にNHKで放送されたものを録画したものです。川崎パソコンサポートボランティアの紹介をしていただいた番組です。少しだけ見ていただこうと思います。ここに出てくる方がその辺にいます。

====ビデオ放送====

 少し音が小さくて申し訳ありませんでした。30分の番組なのでまだまだあるのですが、これを30分間流しても良かったですね(笑)。これは、このくらいで・・・。実際に駅で待ち合わせをして出掛けていくという映像を少し見ていただきました。川崎パソコンサポートボランティアの場合は今のように自宅に行って、依頼が来て会の中で調整して、行ける人が行くと。そして問題を解決したり、いろいろなサポートをしたり、パソコンの購入のお手伝いをしたりという活動をしています。
 割と普通のボランティアグループは例えば介助などですと、ローテーションがあります。「何月何日は○○さんちに行ってください」、「何月何日は○○さんちを担当してください」というようなローテーションが割ときちんと決まっていることが多いと思います。ですがパソコンになりますと、誰が行っても解決できるというわけにはどうもいかないとこが多いので、視覚障害のことに詳しい人はやはり視覚障害のサポートになりますし、自分の得意な分野であったり、自分のできる範囲のことでサポートしていきます。もちろん、ほとんど素人の集団ですので、別 に特別なサポートができるわけではなくて、利用者の方と一緒になって問題を解決したり、一緒になってパソコンを使っていくといった活動ですので、そのような本人の申し出によって、その方をサポートしていくというスタイルをとっています。
 
***ボランティア活動の原則***
 割とボランティアセンターなどが、ボランティア活動の何原則などをよく言うので、一応そういうお話はしなければいけないかなということで、これを少し挙げてみました。それとは少し違う視点かもしれません。
 パソコンボランティアはボランティア活動ですので、まずははやり自分の気持ちで活動するものです。ですから自発的で自主的な活動であればいいと考えております。ですから仕事のように一生懸命できる人もいれば、本当にできる範囲で活動する方もいる。そういう本人の自主性ということを大事にした活動です。このボランティア活動は事業ではありませんので、仕事ではありません。ですからその自分のできる範囲がそれぞれの人が自覚しながら活動することが非常に大事です。
 2つ目は無償の活動であるということです。これは別に利用者からお金をもらわないという意味ではありません。そうではくて、事業にしないということです。ですからNPOにして、事業化するということを考えていらっしゃる所もありますし、それはそれで大事な活動と思っておりますが、ボランティアグループとしてはやはり基本としては無償の活動であるべきだろうと考えております。それは利用者からお金をもらってはいけないということでもないし、例えばボランティアに行った方が、ボランティアに行ったときの交通 費や必要な経費やちょっとしたお茶代や、そういうものをもらってはいけないということでもありません。そういうことではなくて、そのボランティア自体が事業になってしまわないようにといったことが、そのボランティア活動の基本だろうと思います。もちろんそれは事業にしてはいけないということではなくて、ボランティアグループという範囲はそこまでですよと。もっといろいろな活発な活動をされるのであれば、もっと別 なかたちを求めていかなくてはいけないという意味です。後ほどこの話もします。
 3つ目には、そういう自主的な活動ですが、利用者からとってみますと先ほど申し上げたように、とても大事な活動ですので、やはり一定の責任あるサポート体制というものを確立しなければなりません。これがボランティアグループを実際にしていく上で、非常に苦しむところです。ある一定の責任を、ボランティアが果 たせる範囲の責任を負っていく必要があると。
 4つ目には、やはり障害者というのは、その障害という特性を持っていますので、その障害者への配慮ということが大事です。それは言うまでもなく、その障害というものを、障害者というものの置かれている現状や障害の中身を理解していていただくということです。
 最後には、そういういろいろな責任も出てくるし、配慮も必要ですし、パソコンに関する知識も必要ですが、しかしやはりその範囲で無理なく楽しめる活動範囲をボランティアグループという枠の中でしていただくのがいいかなと思っています。
 
***パソコンボランティアはいつからしているのか***
 さて、大体どのような活動をしているか、どのような大事なことがあるかということをお話ししましたので、少し視点を変えまして、パソコンボランティアというものはいつからしているのですか、先ほど小川さんが「'93年から僕はパソコンボランティアの活動をしています」とおっしゃっていましたが、ではそのパソコンボランティアというものはどのようにできてきたのかを知っていただくと、パソコンボランティアがしていることの中身を理解していていただくうえでとても良いと思いまして、少しその歴史・・・歴史と言うほどの古さではありませんが、それを知っていただこうかと思います。
 まず、上の方に1986年、トーコロBBSやみんなの願いネットという感じですが、ラポールネットさんはいつからされていますか。忘れたそうです。ここにもラポールネットというものが、今もあります。私も会員だったこともあります。要するにパソコン通 信がはやった時期です。この1980年代の後半から1990年にかけて、パソコン通信のある種のブームが来ました。年々、大手のパソコン通 信ネットは会員がどんどん増えていくという、そういうパソコン通信のニューメディアと言いましたか、そういうブームが実はありました。パソコンをみんなが使って、パソコン通 信でチャットをして、会話をしたり、そういう時代がありました。
 
***「JDプロジェクトA」***
 そういう時代の中で、実はパソコンボランティアの活動のようなものができてきました。1993年に「JDプロジェクトA」ができました。日本障害者協議会の中にパソコンを使って障害者を支援するような活動について、まずはいろいろと研究しようというプロジェクトができました。
 
***当時はパソコン通信が中心***
 そのプロジェクトに私や先ほど司会をしてくださった佐々木さんですとか、何人かのメンバーが加わって、当時はパソコン通 信が中心でした。その翌年に「全国障害者パソコン通信ネットワーク構想委員会中間まとめ」という、何を言いたいのか分からないですが、そういう報告書を出したりいたしました。
 当時はパソコン通信の時代です。このパソコン通信も盛り上がってきますと、当然障害者の方が、パソコン通 信をたくさん使っていまして、そのパソコン通信の中で、私もよく視覚障害の仲間とチャットしたり、そういうパソコンを使うことで障害者がどうも便利そうだということが割とパソコン通 信の中では広く認知されていった時代です。
 この後、1995年にインターネットのブームが起きますが、それまではパソコン通 信の人たちの世界でした。私もそのパソコン通信をしていた1人です。当時、神奈川にもネットワークがありましたし、パソコン通 信のネットもありましたし、それ以外にもいくつかネットの中で障害者がフォーラムをする、障害者のためのフォーラムなどが徐々にできてきました。
 
***仲間同士の助け合い精神から始まった***
 私はもともとエンジニアですからパソコン通信をするための環境を整えました。今も使っていらっしゃるかもしれませんが、例えば昔はモデムという機械でパソコン通 信をするのですが、そのモデムを使うのが難しいのです。モデムの設定が難しい、モデムがうまくつながらない、パソコン通 信がつながらないという、当時からいろいろなトラブルが実はありました。そういうパソコン通 信の環境を何とかみんなで面倒を見ようというような、何となく漠然とした活動が古くからされていました。当然その中には別 に障害者でなくても、障害の有無などは全然関係なくて、パソコン通信がうまく行かない人の所に私も出掛けていって、そのモデムの設定を直してあげて、パソコン通 信ができるようにしたり、そういう活動はかなり前からありました。
 ところがその中に障害者の方がたくさん入ってくると、それはいくら何でも目が見えなければどう接続していいか分からないということが当然出てきますし、やはり支援が必要だと分かってくると、その活動がだんだん障害者に向いていった。障害のある人がパソコンを使うということは、先ほど申し上げたように大変大事な活動であって、大事な役割を持っているということが分かって、しかもそのパソコン通 信がうまくいかないという人の所に助けに行こう、家まで出掛けていって直してやれ、というようなパソコン通 信の仲間同士の助け合い精神のようなところから実はこの活動が生まれています。
 
***インターネットの普及で使う人が増えてきた***
 その後、1995年にWindows95というパソコンのOSが出て、インターネットが普及します。インターネットの時代になりました。インターネットをどんどん普及して、パソコンを使う人はそれまでのパソコン通 信の時代とは打って変わりました。パソコン通信の時代は何となくパソコンオタクたちの通 信でしたが、インターネットは普通の人のためのものになりました。そうなると、どんどんパソコンを使う人が増えてきます。ここには書いていませんが、例えば日本で視覚障害者が操作するためのソフトウエアが発売されたり、障害者のためのいろいろなソフトウエア、ハードウエアもありますが、徐々に出てきた時期です。
 
***「パソコンボランティア」という言葉が明確に***
 だんだんと利用者が増えてくる、障害者の人も使いたいということでどんどん使い始めました。ただ本当に「パソコンボランティア」という言葉が明確に具体性を帯びてくるのは、1997年に東京で「パソコンボランティア・カンファレンス」をしたのが、ある意味でメジャーデビューだったのかなと。それ以前から名前はありましたが、あまり知られていませんでした。1997年に、東京でパソコンボランティアカンファレンスがあって、そのときに『パソコンボランティア』という本も作りました。今はもうこの本は買えないかもしれません。この本が出て、ようやくパソコンボランティアが始まったと考えていただいていいと思います。ですから、『パソコンボランティア』という本の中にはパソコンボランティアをしているグループの話はあまり出てきません。この本が出たころは、バラバラに個人でしていた時代です。私も入っているので言いにくいですが、先進的に活動していた仲間がパソコンボランティアを大事だと。ですからこれからこの活動を進めなければいけないということで出した本です。『パソコンボランティア』という割には、パソコンボランティアの話というより、これからパソコンボランティアを普及しましょうという話になっています。この第1回目がパソコンボランティア・カンファレンスを受けて、全国でパソコンボランティアを作るブームが徐々に起きてきました。それ以前に活動していた所は、大体パソコン通 信を中心にしたグループです。ピアネットもそうですが、この1997年以降から初めてパソコンボランティアのグループが生まれてきます。
 私が川崎にパソコンサポートボランティアを作ったのも1998年ですので、ちょうどこれが終わって、2回目のパソコンボランティア・カンファレンスをした後くらいです。このようにパソコンボランティアの流れができてきました。
 今はインターネットのYahooで「パソコンボランティア」と検索するとものすごい数で出てきますが、これはほんの5年くらいことです。すごく最近にやっと出てきた活動です。従いまして、まだまだ全国にはボランティアグループがないところがたくさんありますし、やっと一般 名詞でパソコンボランティアが語られるようになりましたが、いろいろなグループがあります。またできるところもあれば、静かになるところもあります。まだまだ安定した活動ができるというところまでいっていないかもしれません。だからこそ、こういうセミナーなどが開かれていると思いますが、まだまだ日の浅いものです。
 
***友達が困ったら助けるのは当然***
 パソコンボランティアの歴史から一つ皆さんにぜひ理解していただきたいのは、パソコン中心から生まれた助け合い精神です。決して私はボランティア活動をしたいから、視覚障害者を支援したいという感じはありません。私は、最初はボランティアという言葉自体にすごく抵抗がありました。ボランティアをしているのではなくて、その人が友達ですから、友達が困ったら助けるのは当然です。ですからその人の家に行って、何かをしてあげようと。僕はパソコン通 信で知り合った人と友達になりたいからその人の家に行って、何かを手伝ってあげようと。パソコン通 信をとおして仲良くなれるのではないかということが、僕の中にはありました。パソコンボランティアという言葉自体、やっと慣れましたが、僕自身の中で抵抗がありました。ですから、ボランティアをする側がいて、される側がいて、「ボランティアをしましょう」、「どうもありがとう」といったような関係ではありません。後で紹介があると思いますが、実際に川崎のパソコンボランティアの活動は、障害の当事者もたくさんいます。その仲間たちがみんな友達を大事にするから、友達同士なので助け合っているということが、案外それがパソコンボランティアの実体なのではないかと思います。ですから、どこの誰か知らない人をサポートしなければいけないということはなかなかしんどい活動です。ですが、その人と友達になり、その人と知り合うことで自分の生き方を豊かにしようと考えますと、これがだんだん楽しくなってくるし、サポートをしていく中で友達になっていくといった活動は実は長続きするし、楽しいです。
 
***楽しさ51%のボランティア活動***
 僕は「楽しさ51%のボランティア活動」といつも思っているのですが、立場からなかなか・・・。その楽しいところをお見せしましょう。
 実は先週、川崎パソコンサポートボランティアで花見がありました。その花見をしているところの映像ですが、公園で花見をしています。こういう花見も毎年欠かさずボランティアグループでしています。なぜかこの写 真の私の顔が切れていたりするのですが、後ろの方にもいますが、当事者の方も何人か参加されています。こういう活動をすることももちろんありますし、楽しい活動を織り交ぜつつ、ボランティアをするということを大事にしているのです。
 
***人間相手の仕事だということの難しさ***
 しかし実際にしてみますと、ボランティアにいくというのは、パソコンを直しに行っているようであって、実は人間相手なのです。意外と人間相手なのです。ですから最初に「人と話をすることが好きですか」と聞きましたが、そういう人と人の関係を作っていく仕事なのです。
 そのために支援をしているのですけど、更に障害のある方はすごく依存されたりすることがあります。例えば、何でも困ったら電話がかかってくるとなると、本来の支援の意味と違ってきてしまいます。その人にパソコンで自立してもらいたいのに、パソコンに依存されるようになってしまうことになったり、あるいは、パソコンを直しに行ったけれども直らないということもあります。そういう行き違いがボランティア活動をしているときに生まれてきて、ボランティアグループの中でのいろいろな人間関係が出てきます。意外と面 倒くさいもののなのです。ボランティアをすること自体は大変楽しいことですし、みんなで集まっていろいろな活動をするととても楽しいですけれど、人間相手の仕事だということの難しさをいつも感じています。パソコンボランティアで相手と合わないということもありますので、そういう方はうまくグループを使うことでで調製して、やっているのが実体かなと思います。
 
***温度差を認め合うの雰囲気作り***
 あとは「温度差を認め合うの雰囲気作り」と書いてあるのですが、みんなはいろいろな思いで参加しています。気楽な気持ちで参加してくる方もいれば、一生懸命に活動を充実させようと思って参加してくる方もいます。我々のグループは大変気楽な活動をしているので、「何だ、これでいいのか」と思う人も結構出てきます。いろいろな人たちが、いろいろな温度差を持って参加していると思います。これを一つの温度にしてしまうということもあるかもしれませんが、やはり最初は温度差を認め合いましょうということで、本当に少ししか参加できない方はだめですではなくて、少ししか参加できない人は少しだけ参加ができる場所が必要です。すごく頑張りたい人には、すごく頑張れるステージにしてあげる必要があります。こういう温度差をどのようにして認めて運営していくかということは、悩ましいところではないかと思います。
 
***モチベーションを持続させること***
 3つ目は「モチベーションを持続させること」と書いています。私も全くそのとおりで、自分のモチベーションを維持することは大変です。と言いますのは、仕事が嫌になることもあります。仕事が忙しくなったり、何か別 のことで精神的につらくなったり、あるいはそういうこととは関係なく気持ちが乗らないときがあります。嫌なときでもサポートをしてくださいという依頼は来ますから、どうやって自分やメンバーのモチベーションを持続させ、活動していくかということは大変難しい、どのようにして解決すればいいのか、あるいはどうすればみんながやる気になるのかということです。これは、私自身もそうですが非常に難しいです。
 前回にお話したと思いますが、視覚障害の河田さんがある事をおっしゃいました。どういうことかと言うと、「パソコンを使うということは僕にとってとても大事なことだ。だからとても大事なパソコンをボランティアの方に触られたくない」と言われました。つい最近は、彼と会う機会があって、この話を懐かしくしました。責任を取ってくれるかというその主張は全くその通 りです。


           (文中の見出しはピアネットの小川がつけました)





*神奈川県内のパソコンボランティアの
グループ紹介*

 (佐々木) 梅垣さんの話に引き込まれてしましたので、このまま続いてしてしまって、早くご飯に有り付くということにしたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
 それでは続きまして、神奈川県内のパソコンボランティアのグループ紹介というかたちでいきたいと思います。時間がありません。これから8団体いきます。8団体のしゃべる方は前の方に出てきてください。
 
**あおばユニバーサルコミュニケーションボランティア**
 それでは、早速始めたいと思います。最初に「あおばユニバーサルコミュニケーション」から、四方田さん、よろしくお願いいたします。時間制限があります。今回はそこで私はバサッと切ります。よろしくお願いいたします。

(四方田) 横浜市青葉区で活動しています「あおばユニバーサルコミュニケーションボランティア」の四方田と申します。よろしくお願いいたします。時間が短いのでパーッと話します。
 私どもは、半年ほど前から市ヶ尾の青葉区社協で相談会、この4月からはパソコン、インターネット活用の体験会を月に1度、第3土曜日にさせていただいています。
 市ヶ尾社協で活動をさせていただいていますが、私どもが唯一のパソボラではなくて、ほかにも4団体ほど、社協のPC機材、インターネット環境などを共用して、使い回すかたちでしています。
 私たちはどういうことを特徴としてしているのか。私たちは、活動者も10名足らずという小さな団体です。それで2つのことを念頭に置いてしています。
 2つのこと。まず、1つ。梅垣さんのお話で「責任あるサポート」ということが出ましたが、私たちは範囲を集中して、インターネット活用と、目の見えない方、マウスや使えない方、キーボードが使いづらい方の支援技術の活用の相談窓口、体験窓口になりたいなと。例えばウイルス予防ソフトを設定したいのだけど、目の見えない人だとうまく使えない、どうすればいいか。あと、ボランティアの人もどうすればいいかなど。あとは、「広報横浜」と、「広報横浜」の青葉区版のメールでのメルマガのような配信をホームページから申し込みたいのですが、それをどうすればいいかというような相談などに乗るかたちにしています。要するに、インターネット活用の責任あるサポートです。
 それから、私たちはフルタイムで働けない、会社勤めやほかの団体の活動と掛け持ちで活動している人が多いことが特徴ですので、ほかの団体との交流、連携というものを非常に大事にしていきたいと思っています。例えば川崎パソボラやDream Navigator Yokohamaの相談会に押しかけて自らのスキルアップを図ったり。後はパソボラ同士の連携だけではなくて、例えばお花見があれば、そこへ障害者の皆さんが一緒に行くときにインターネットでメールのやり取りをするときの活用で相談を受けるなど、そういうことを目指してしていきたいと思います。
 詳しいことはこちらのパンフレットでも私どもの紹介をしておりますし、その中でURL(ホームページのアドレス)が書いています。そちらをご参照ください。
 今こちらの方で、ホームページで掲載している資料です。先ほどの連携という話です。毎月1度の相談を受けて、それについてサポートを検討して、各ご自宅へ伺ってサポートをしたりというようなこともしております。
 私たちの活動だけではどうしても活動範囲が狭かったり、サポートができなくなってしまうということで、ボランティアの育成をしたり、ほかのパソコン体験会のところへ伺って自らのスキルアップをしたり、紹介を受けたり、あとはパソボラの人たちだけではなくて、地域のボランティア、地域の活動とコミュニケーションをとってうまくしていったり、それから必要があれば専門の人のところに技術的な紹介をしたり、そういうこともしていこうと思っています。実際に今もしています。
 今言ったのようなことをホームページに出しています。今言ったのような活動、それから勉強会を行ったりしています。視覚障害の人とにどのようなパソボラでのケアをしていけばいいかというような資料についてもホームページの方でいろいろと出したりして、皆さんのご意見を伺ったりもしています。
 青葉区で活動していますので、よろしくお願いいたします。

**川崎パソコンサポートボランティア**
(佐々木) ありがとうございました。それでは今度はグッと東の方に行きまして、川崎PSVの方、よろしくお願いいたします。

(安部) 川崎パソコンサポートボランティアです。よろしくお願いいたします。皆さんが入られた後に資料を持って参りました。後ろの方にパンフレットを3種類あります。これから、私どもの弥津さんが説明するパワーポイントの資料が14ページありますが、ダイジェスト版が60部ございます。後ほど、後ろの方でよろしい方は取っていただければと思います。
 それでは、私どもの弥津さんから説明をさせていただきます。

(弥津) はじめまして。川崎パソコンボランティアの副代表をさせていただいています弥津と申します。
 先ほどのフィルム画面に登場したのはこちらの安部です。先ほど、うちの代表が長々と申し訳ございませんでした。代表が長々とお話ししましたので、大体のことを皆さんは把握していただいていると思いますので、省くところは省きます。川崎PSVはどうもマイクを持つと長々としゃべる風習がありますので、さっさと終わらせます。
 私どものパソコンボランティアは1998年、今年で3年目になります。梅垣さんが主流となりまして始まりました。
 主に活動範囲は川崎市内です。会員数が90名。主な活動としまして、先ほど言いました押しかけサポート、訪問サポート、それと2001年の7月からパソコンの相談会を月に1回行っております。このことは後ほどご説明いたします。
 会員の人数ですが90名ほどで、30%が女性、70%が男性を占めます。初心者、ボランティアはこれが初めてという方がほとんどです。フルタイムの普通 の会社員、お仕事をしている方がほとんどです。会員の中でも視覚障害の方がとても多く、14名視覚障害の方、脳性マヒの方が2名、筋ジスの方が1名おりまして、多くの方のサポーターとして活躍しています。これはご自分のパソコンを使ってみて不便だった経験に基づいて、実践的なサポートをさせていただいております。
 組織ですが、今8つの仕事をみんなで分担しております。この役員の中にも障害の方がいらっしゃいますので、会の運営に関しても障害の方の体験に基づいてどんどん進めさせていただいています。
 川崎パソコンボランティアの目標としましては、障害者がパソコンを活用して、今まで難しかったコミュニケーションをとれるように支援するということです。主にインターネットを利用して、ホームページを見たり、閲覧をしたり、電子メールのやり取りができるまでをサポートさせていただています。主に言語障害の方や、視覚障害で外出ができない方は、このことによってより一層、外の世界と触れることができますので、私どもの目的とさせていただいております。
 最近、パソコンの機器が多様化しまして、ブロードバンド、ADSLなどが増えました。新しいソフトがどんどん増えましたので、このことで随分いろいろなことができると思います。キーボードカバーや、らくらくマウスなど、そのようなその方に応じたものをご説明、ご紹介するようにしております。
 サポートの対象者としまして、基本的にはすべての障害を持った方としています。ただ、知的障害者や精神障害の方に関しては、私どもはノウハウがあまりございませんので、お断りしてしまうことも多々ございます。
 サポートの実績としましては、会員の方でも視覚障害の方が多いものですから、視覚障害の方が多いです。最近聴覚障害の方もたくさんおみえになります。
 サポート対象と範囲です。ここで私どものサポートの軸としまして、今、2つございます。1つは訪問サポート。これが先ほどの押しかけサポートです。外出が基本的にできにくい方や、あとはご自宅の大きいデスクトップのいろいろな設定などもございます。伺ってお茶を飲んで、一緒にパソコンの話をすることを一番の楽しみにしております。パソコンの購入の相談も私どもは一緒にパソコンショップに行きまして、「こういうものがいいんじゃないのかな」ということをご説明させていただきます。ご自宅でもその方に応じて、弱視の方、視覚障害の方のスクリーンリーダーを含めまして、設定をさせていただきます。
 もう1つ。2001年の7月から月に1回、相談会を開催しております。これは事前に予約をいただきまして、30分から1時間、ご相談をさせていただいています。ご自宅で使ってみて、「ここがわからないぞ」ということを事前にメールやFAXで質問内容を寄せていただきまして、その30分間ですっきりと解決させていただくということです。これはパソコンだけではなくて、普段自宅にこもりっきりの方をこういう機会に1カ月に1回、みんなで集まってパソコンのお話をしましょうということなので、パソコン以外でも私どもはとても意味のあることだと思っております。
 それと、会員会の連絡はすべてメーリングリストで運営させていただいております。なかなか電話などでは皆さん捕まりにくいものですから、夜に帰ってきてメールで確認をさせていただいています。
 会員会の親ぼくとしまして、月に1回、例会を開催しております。これは検討事項、報告、サポート技術に関する学習等を行っています。サポート技術はもちろんパソコンの新しいソフトや視覚障害の方にいろいろとアドバイスをいただきまして、そのお宅に行ったときに、こういう設定に気をつけた方がいいですよ、といったような学習会をしております。これはパソコンに関してだけではなくて、車いすや手話も体験させていただいております。お花見のレクリエーションがありますが、そういう楽しいこともしております。
 後ろにありますが、サポートの募集としまして、こういうものを配って、「皆さん、一緒に参加しませんか」ということで、皆さんのお声をお聞きしています。
 課題としまして、決まった活動拠点がないということと、いろいろなサポート、パソコンの操作、パソコンが決まった拠点がないために個人が所有しているという、会員の負担がとても多いということが、今後の課題と思っています。
 ありがとうございました。

**鶴の恩返し**
(佐々木) ありがとうございました。それでは、川崎の川を越えたところで、次に鶴見の「鶴の恩返し」の方、よろしくお願いいたします。

(兵頭) 皆さん、こんにちは。鶴見から来ました「鶴の恩返し」と申します。
 名前の由来をまず言いますと、鶴見だから「鶴」です。「鶴見区に恩返しを」ということで「鶴の恩返し」と。もう1つの意味は、やはり「鶴の恩返し」という伝説がありましたが、話の最後で鶴は帰ってしまいます。それは何かというと、自分の体力は残しておきましょうと。全部ささげるのではなくて、最後は自分も大事ですよという意味で「鶴の恩返し」と命名されたと先輩から聞きました。
 本日はこのような会にご招待いただきまして、どうもありがとうございました。こういう自己紹介をさせていただける機会をいただきまして、ありがたく思います。またこのように会場いっぱいになるほど、抽選者が出るほどの盛況なパソボラの横浜での集いということで、私個人的にも大変うれしく思います。ますますパソボラの発展、おめでとうございます。事務局の方々のご苦労をここで御礼申し上げます。
 さて、「鶴の恩返し」のパソコンの活動ということでチラシを配らせていただいておりますが、そもそもこのボランティア団体は7年の歴史のある会で、私はまだ2年生です。地元、鶴見で男性ボランティアの講習会が生涯学習科の企画でありまして、男性でも地元にボランティアができないかということです。この青い紙でございます。
 当時、女性ボランティアの方がお弁当を作って一人暮らしの老人の方にお配りするという活動の中で、男性として配達のお手伝いができるのではないかということから始まりました。その後、身体障害者の方がある日突然脳いっ血や脳こうそくで利き腕が使えなくなり、文字を書けなくなったという方にワープロでその文字をよみがえらせるというか、文字が書けるようにというお手伝い、ワープロ教室も始めてまいりました。
 先ほど梅垣先生のお話があったように、パソコンにはなかなか助成金が出なかったのですが、今日いいお話を伺えました。いよいよ4月1日から助成金がいただけるそうなので、これを励みに進めていきたいと思っています。
 具体的には、今、全部で50名くらいの会員です。はっきり申しまして、年寄りばかりです(笑)。ほとんど定年退職をされた方のボランティア。先ほどもお話をいただきましたが、各個人が社会とどういう関係を持っているかが非常に大事なことで、会社を辞めた後でも社会との関係をつなげていくということです。
 私たちのモットーは「鶴の恩返し」ですから、地元に根付いた活動ということで、毎週土曜日と日曜日に近所の方のパソコン教室をしています。そこでの対象の方は高齢者と身体障害者です。
 この後のパネルディスカッションでもいろいろと議論をしていただきたいことは、コストの問題です。今、パソコンを7台持っていますが、それに費用も掛かったりしていますし、場所代などもありまして、どのようにコストを考えていくべきかということがあります。今、幸いにも鶴見の潮田のケアプラザをほとんど占有で借り切っていまして、そこに7台のパソコンを置きっぱなしという状態です。これもいいことではないかも分かりません。
 私的に申しますと、私はサラリーマンをずっと25年間していました。私は四国の宇和島の生まれですが、出てきた当時は「私は宇和島の人間でございます」というアイデンティティーが自分の田舎にはあったのですが、こちらに25年、鶴見に15年住んでいまして、だんだんと自分のアイデンティティーが鶴見になりつつあるということです。ふと振り返ってみると地元に全然友達が誰もいない、知っている人がいないと。やはり何とか地元に根付いた、地元にネットワークのある、息づかいの分かる、顔の見える生活がしたいということが2年前にこのボランティアを始めたきっかけです。ただ何でも良かったのです。たまたま自分がコンピューターメーカーの社員だということもあって、自分の得意がパソコンだったので、それで貢献できるのではないかというところから始めました。
 今、「メンバー募集」と書いてあるチラシがありますが、いろいろと何でもできる方、したい方ということで、私たちはこれを「ボランティアのコンビニ」と称しています。必要なものは何でもしますよ、ということです。特に現在、パソコンの教えることができる方を募集中です。ぜひ鶴見近辺の方、地元で活動したいという方は、募集していますのでぜひご連絡をください。
 先ほど言いましたように年寄りばかりの集まりですが、ここで思うにはパソコンはやはりハイテクの技術のなので、7yearとよく言われます。パソコンの時代というのは7year、すなわち人間の7倍のスピードで時間が進んでいくらしいです。先日私があるパソコンショップで買い物をして、「去年買ったこのメモリーが欲しいのだけど、ないの?」と言うと、「もう、無い」と言われました。パソコンの1年は普通 の人間の7年分ということで、スピードがすごく速く回っていますから、若い頭脳と、ある程度時間があって活動できる方の組み合わせでが必要ではないかと思う今日このごろです。私自身も今、現役のサラリーマンをしているわけですが、先ほど梅垣先生のお話があったように、どう活動していくかという悩みの中で、自分のできる範囲で楽しみながらしていければいいと思っています。
 どうもご静聴ありがとうございました。

**鶴見パソコンボランティア協会**
(佐々木) ありがとうございました。もっとしゃべる時間があるといいのですが・・・。次に行きましょう。鶴見パソコンボランティア協会の中村さん、お願いします。
 
(中村) 皆さんこんにちは、中村でございます。どうぞよろしくお願いいたします。
 先ほどからいろいろとお話を伺っていますが、特に梅垣先生のお話をいろいろとお伺いしまして、皆さんが立派で、進んだ考え方でされていると、大変感心して聞いていました。
 私どもの鶴見のパソコンボランティアというのは、大変遅れておりまして、そういうグループは、今、兵頭さんがお話をしました「鶴の恩返し」以外には見あたりません。ご承知のとおり、鶴見は大変老齢化が進んでいまして、若い方がいないです。実はひょんなことから私はパソコンボランティア協会を昨年の12月に立ち上げました。現在38名、協会の会員がいます。そのうちの男子の平均年齢が63.3歳、女子の平均年齢はさすがにグッと若くて55歳。そういう状況です。
 皆さんご存じだと思いますが、鶴見という所は真ん中に鶴見中央という官庁街と言いますか、会社街というのが駅の周りにありまして、その周りに小さい街が散らばっているわけです。そもそも私が若いころは、鶴見駅を降りると向こう側には海が見えて、鶴見中央は一番鶴見のはずれでした。もともとの中心地は鶴見の馬場町。馬場というのは「ばばあ」町ではなくて、「ばば」町です。お馬さんの練習する・・・。ところが馬場町といっても、「じじい」も多いです(笑)。いくら募集をしても、大体そういう状況です。
 私は最近になってつくづく思ったのですが、やはり若い方がボランティアを好きで好きでしょうがなくて、ボランティアばかりに集まってくると日本の国はどうなりますか。日本の国がつぶれてしまいます(笑)。例えば定年が過ぎてリタイアされた方が中心になってこういうものを盛り上げていかなければ、日本はつぶれてしまいます。ですから私はこれでいいと思っています。我々が一生懸命にして、それでどうにもならなくなれば若い人に助けてもらうしかないです。今日、車いすに乗ってこられた方がいます。一生懸命自分でおやりになり、自分がパソコンを覚えると、今度は仲間に教えようという気持ちになります。私はそれでなければいけないと思います。若い人の力を頼ってはいけない。我々でもってしなければならない。ですから我々は高齢者、身障者に対して、これからパソコンを教えられるようなグループを何とか鶴見で立ち上げたいという気持ちでしてきました。
 かく言う私は前回、9月にここ横浜ラポールでしました会で皆さんのお話を伺いました。その中でつくづく感じたのは、パソコンを覚えたいという身障者、高齢者の人がいっぱいいるわけです。また先ほど先生がお話しされたように、パソコンという機械は、身障者であり、寝たきりの高齢者たちが、一番恩恵を受けなければいけないはずです。でも現実にこれが使われているのは五体満足でどこへでも遊びに行けるような若い人が一生懸命に横着のために使っているだけです。また、それは決して否定すべきことではありません。これをみんながするようにならないと日本の経済がよくなりません。パソコンがいっぱい売れて、関連部品がどんどん売れていかなければ、日本の経済はよくなりません。皆さんが精神的なものだけで結構だというのではなくて、車も欲しい、家も買いたい、いろいろなものが欲しい国民が多いです。それはそれでいいです。どんどんお使いになって、日本の経済が活性化するということは大賛成です。ですが、本来の目的から言えば、社会参加できない弱者が一番恩恵におくさなければいけないはずのものです。多分この機械を「便利にしよう」と一生懸命に考えた人の頭の中には、やはり何とか社会に参加できない人を復帰させたいという目的があって一生懸命に開発されたものであると僕は信じています。科学というものはそういうものではないかと思っています。
 私はまだパソコンを始めて2年です。一昨年の2月に始めたところで、それまではパソコンには全く縁がありませんでした。鶴見区で野球の方の連盟をしたり、後は飲み屋のオヤジをしています。全くパソコンには関係ありませんでした。それがあるひょんな機会で「パソコンボランティア入門講座」を鶴見区で生涯学級の一つとしてするから、やり手がいないのでしてくれないかと。「僕は、パソコンは何もできないと」と言うと、「とにかくどうやってパソコンのボランティアを作らなければいけないかというノウハウをやるんだから、一つ手伝ってくれ」ということで始めたのがきっかけです。たまたまそのときに私の方で講習会をしていましたが、そのときに皆さんは忙しいんだけど、ここで寺沢さんが「ラポールでこういう会があるので、どなたか運営委員の方きていただけないか」と。そのときに一番暇だったのが私で、「じゃあ、お前行って来いよ」ということで来たのがきっかけです。
 皆さんのお話を聞いて思ったのは、そのようにたくさんパソコンボランティアを必要としている方がいる一方で、パソコンボランティアをしてみたいという人もかなりいます。今言ったように、定年を過ぎてブラブラしている年寄りがいっぱいいます。早く体が悪くなって面 倒を見てもらえればいいのですが、そういうわけになかなかいきません。元気な年寄りがいっぱいいるわけです。自分もそうですから言いますが、こいつらを使ってするのが一番手っ取り早いと思って・・・。聞いてみるとかなりパソコンをしている方がいます。そういう方にぜひ集まっていただいて、したいと。話を聞いていると皆さんもそういう方がいなくて困っている。一方では暇でしたがっている年寄りもいる。ですからこれを何とか結びつけようとしたのがきっかけで、まだ立ち上がったばかりです。実績は何もありません。再来週の4月13日の土曜日に第1回の定期総会をして、初めてスタートいたします。もう既に、気の早い年寄りがどんどん始めておりまして、既に鶴見の障害者施設の「幹」で5月から講習会をします。今日来ておられます矢野さん、お立ちください。うちの矢野さんです。昭和6年生まれ、当年74歳です。今度主任講師として、そちらでしていただきます。若い女性のサポーターが10人くらい付きます。どうぞよろしくお願いいたします。
 来月からは「フレンドール鶴見」で講習会を始めます。4月1日からうちのホームページが立ち上がります。そのホームページを作られた広報委員長がいますが、その方は残念ながら抽選に外れてここに出席ができません(笑)。よろしくと言っていました。その者が「フレンドール鶴見」の主任講師として、4月の第1火曜日から4回にわたって講習会を始めます。そういうことで身障者に対するサポートを既に始めております。4月13日からスタートいたしまして、ホームページもできます。そのときにご案内いたしますので、どうぞご覧いただきたいと思います。
 活動の内容については次回の報告のときに譲らしていただきたいと思います。よろしくお願いします。

**相模原パラボラ**
(佐々木) どうもありがとうございました。続いて、県の北の方に行きまして、相模原パラボラから長谷川さん、お願いします。

(長谷川) 皆さん、こんにちは。北の方から来ました、相模原パラボラの長谷川と申します。よろしくお願いいたします。
 ただいま、鶴見の中村さんの熱弁に圧倒されまして、次が大変のようですが・・・。
 実は私も中村さんと同じくらいの年代で、今、中村さんは、「パソコンは年寄りにこそ必要なんだ」という熱弁を振るわれたわけですが、私もそう思います。やはりお年寄りの方にパソコンが必要です。
 この間、うちの教室でこういうことがありました。「長谷川、僕はインターネットで軍歌が聞きたいんだよ」と言うのです。軍歌が聞きたい。その方はOさんといいまして、もう80歳に近い方です。奥さんを亡くされまして、全盲の方です。半年ほど前にパソコンを入れられました。非常に興味があるようで、上達も早く、キーボードはすぐに使いこなしました。この間うちの教室でインターネットの講習をしておりまして、そこで習って、ADSLを自宅に入れました。我々もお手伝いをしました。非常に喜んでいました。「長谷川さん、これでラジオの番組がよく分かるよ」と言うのです。目の見えない方は、ラジオは聞こえるけれども、何時に何をするかということが分からないのだそうです。それがインターネットで分かるというのです。なるほど、インターネットはすごいなと思いました。その彼が「軍歌が聞きたい」と。80歳近いですから、見えない、恐らく暗やみの世界の中できっと若かりしころの青春の思い出に浸りたいと思われたのではないかと思います。その気持ちが本当にビンビンと伝わります。こういうお年寄り、障害者の方たちにこそ、このインターネットというのはすごい力になるのだと私はあらためて感じました。
 パラボラの紹介ですが、我々は少し遅くきたので皆さんにパンフレットをお渡しする時間がなかったのですが、向こうに置いてありますので後でご覧になってください。お金がないのでカラーではありませんが、モノクロのチラシを置いています。
 パラボラ相模原は今から2年前に準備しまして、立ち上げが1年前です。私は分からなかったのですが、最初はどうも訪問サポートを主体にして計画されたようですが、なかなか頼みに来ないと。障害者の方はご自宅に人を入れることはおっくうなのでしょうか。頼みに来ません。そこで去年の9月から「あじさい教室」と「南教室」という2つの教室を立ち上げました。それからずっと休まずに毎週水曜日と木曜日に教室を開いています。現在、通 ってきている障害者の方は2つの教室を合わせて10名です。5人ずつくらいです。その中で視覚障害の方が6名、その他の障害の方が4名となっております。
 実は、会が保有するパソコンはあまりないのですが、とりあえず7台なんとかそろえました。あと足りない分はみんな自分持ちです。自分で持ち歩いています。これらのパソコンをLANで接続しまして、カードエッジを使いまして、インターネットでつなげまして、そしてメールとインターネットが参加者全員でできるという教室を作りました。
 やっていて感じるのは、サポーターの数が少ないということです。毎週手伝ってくれるサポーターの数はなかなかそろいません。今、登録されているサポーターは72名いますが、毎週来てくださる方は10名足らずです。このような中で、非常に難儀しております。でも、休まないで今まで続けて来ました。これからもずっと続けていくつもりです。いわゆる「継続は力なり」と。この継続こそが、障害者の皆さんに光を与えるのではないかと私どもは考えております。自転車で通 えるサポート。要するに、地域に密着したサポート。こういうものを合言葉にパラボラ相模原は現在頑張っております。これからも頑張っていきたいと思っております。今日はどうも、ありがとうございました。言葉足らずのところは向こうにありますチラシでひとつご確認ください。よろしく。
 
(会場) どうして「パラボラ」なのですか。「パソボラ」ではないのですか。

(長谷川) それはうちの会長がそこにおりますので・・・。

(森田) 初期のメンバーが、パラボラアンテナをイメージして、情報を受信するだけでなくして発信もしていこうよという意味で結成しました。その方が若くて心筋こうそくで亡くなられました。その時のメンバーの思いを忘れな

いために名称を「パラボラ相模原」にしようと提案しきまりました。現実的には「パソボラ相模原」でもいいのです。理想的には「パラボラ」でいこういうことで・・・。

(長谷川) 発展性を込めて、パラボラ、より大きく広がろういう意味合いでの「パラボラ」だと、ただいま説明してくださいました。我々の会長であります、森田さんです。どうもありがとうございました。それでは皆さん、よろしくお願いいたします。ありがとうございました。

**ほどがやパソボラ**
(佐々木) どうもありがとうございました。続いて横浜に戻ってきまして、「ほどがやパソボラ」の市原さん、よろしくお願いいたします。

(市原) 私は、「ほどがやパソボラ」の一応代表にさせられています、市原と申します。
 私どもの会は、ここに書いてありますが、平成12年9月に社会福祉協議会から呼び掛けがありまして、あちこちでボランティアをしている人たちが手を挙げました。15〜16名の方が手を挙げまして、パソコンのボランティアに行けばパソコンを教えてもらえるという話が流れていたらしいです。パソコンができる人は2〜3人しかいません。その間に、半年くらいかけて、社協が用意してくれたパソコン1台をみんなで交代して、私が何とか教えるまねをしました。そのほか、市のIT講習やハローワークの講習に行かれた方も何名かいます。そういうことで1台のパソコンでスタートしまして、いずれにしても社協が相手です。あそこに団体交流室がありまして、「ここはあなた方だけの活動拠点じゃありませんよ。物は置いちゃいけませんよ」と。そんなことがありました。
 それでも1年たってやっとIBMから1台パソコンをもらって、社協がパソコンを3台提供してくれまして、電話回線が1台、インターネットがつながりまして、それで一般 公募のパソコン教室を立ち上げました。おおむね65歳以上の高齢者、身体障害者、それからボランティア活動に携わっている方を対象にしています。市のIT講習は12時間ですが、私どもは3時間×6日で18時間の教室です。市は無料ですが、私どもは3,000円いただいています。「お前たち、3,000円、何するの」といった話がありましたが、お金をためて、最近またやっと1台パソコンが買えまして、今5台のパソコンでしています。
 教える中身は市のIT講習と同じです。テキストを私どもで作りまして、無償で配布して、しています。
 市とどこが違うのかとよく聞かれますが、私どものパソコン教室は18時間終わりますと、補習講座というものを毎週1回しています。それは回数に制約を設けないで、いつ来てもいいですよと。そういうことで毎週7〜8名の方がパソコンの補習座に参加しています。先月に88歳の男性の方が18時間卒業しました。もうそれで終わりかと思っていたら、毎週また来ています。一生懸命に今ワードの簡単なポスターを作る作業に挑戦しています。
 インターネットがないうちは、皆さんに楽しみがないです。ただパソコンをたたくだけでしたら、ワープロがあれば大体用は足りているわけです。インターネットの楽しみを多くの人に味合わせてあげたいということが私の第一の願望です。私はNTTのOBですが、ボランティアをする前は毎日女房と囲碁をしてけんかして、インターネットで囲碁をして、「今日も負けた」と、そんなことをしていました。パソコンのボランティアをして多くの人と接触する機会がありまして、生きる喜びがあり、毎日楽しんでしています。
 パソコン教室以外に何をするかという話ですが、区内の身障者の福祉施設に月何回か出掛けて、パソコンを教えています。そこの身障者の施設で親にアンケートをとりました。そうしますと30名くらいいる身障者の半分くらいのお子さん、お子さんといっても大体青年です、20代から30代の青年がパソコンをしたいという希望が半数以上の方からありました。そういうことで4月から今度はもう少し回数を増やして、パソコンの台数を増やして、したいのでお願いしますという話が来ています。
 この間も足でパソコンを打つ子どもさんがいました。その人に少し教えました。言語障害、それから足だけしか動かせない、そういう人。それから私どもの教室では身体障害者を受け入れていますから、今まで障害で半身不随の人が2人来ました。そらから難聴の方。耳元で大きくしゃべらないと話が通 じない。そういう方も教えました。
 教室は4名です。毎回、市の市役所や地区センターへ一般公募のビラを作って配布して歩いています。今は市のIT教室がありますから3カ月ごとに月に4名ずつ、12名集めるのですが、IT教室はただで行けますのでなかなか予定人員が集まりません。でもIT教室を2回も3回も受けて、まだ納得できないのでしょうか。私どもの教室へ来る人もおります。
 4月からは保土ヶ谷区の生涯学習支援センターというのがありまして、そこで中途障害者の支援活動センターも立ち上がりました。そこへも私と同年代で半身不随の人が30名ほどおります。そういうところへ行って、支援をしています。
 ホームページがありますから、詳しいことはそちらをご覧になってください。ありがとうございました。

**Dream Navigator Yokohama**
(佐々木) どうもありがとうございました。続きまして、Dream Navigator Yokohamaの大谷さん、よろしくお願いいたします。車いすなので、顔が見えないという後ろのほうの方はぜひ立ってご覧になっていただければと思います。では、お願いします。

(大谷) 皆さん、こんにちは。Dream Navigator Yokohamaの大谷と申します。よろしくお願いいたします。
 私たちの団体は横浜を中心に、ここ横浜ラポールを拠点として幸いなことに活動をさせていただいています。
 私たちは個別サポートというよりは、比較的、パソコンの相談会ということをメインに、大きなイベントなどをとおして、そこから皆さんにパソコンに親しんでいただいたり、サポートをして、その中でまた個別 にサポートをする必要が出てきたときには・・・ということをスタンスにして活動しています。
 Dream Navigator Yokohama、略して「ドリナビ」と呼んでいます。前のパワーポイントに書いてありますように、それぞれ活動していく中での人とのネットワークからいろいろな人のつながりをとおして活動ができればということを目指しています。
 実際私たちも今、メンバー会員数が何人いるか把握しきれていない状況です。多分20〜30人いるのではないかと代表が申しておりました。常時活動しているのは、多分15〜16人です。私もご覧のとおり車いすにのっておりますが、そういった中には多分当事者が5〜6人いるのではないかと思います。誰が当事者で誰が当事者ではないか分からないような状況です(笑)。
 ドリナビ横浜の目的ということでは、みんなが共に活動する中で、当事者、そうでないにかかわらずコンピューターをとおして、みんながより住み良い社会をどう目指すかということを大きな理念として活動しているつもりです。
 大きな活動としましては、イベントの開催、大きなパソボラ・カンファレンスなど、そういった大きなイベントに団体として参加してくということも一つのメインな活動になっています。
 2つ目としましては、定例会。これは毎月1回、主に横浜ラポールの2階の「創作工房」でしています。そういったイベントの準備や打ち合わせなどをしています。定例会はどなたでも随時参加していただけるようなかたちになっています。また参加していただく機会があればと思います。
 3つ目としましては、これが一番大きなメインといいますか、パソコン相談会を定期的に開催しています。2カ月に1度、やはり横浜ラポールの1階のロビーで相談会を開いています。午後の3〜4時間の短い時間ですが、その中にパソコンに関しての質問であれば、どのようなご相談でもお受けすることにしています。30名前後くらいの方が参加していただけるような状況で、とても皆さんに好評をいただいています。これからも私たちはこれに力を入れてしていこうと思っています。次回は4月27日土曜日に予定をしています。またご参加いただければと思います。
 「当事者が」とありますが、当事者、そうでないにかかわらず、いろいろな活動をしています。その中で平成13年、横浜市のIT講習会をドリナビの方で協力をさせていただいています。それの講師にも当事者も含めてかかわりました。
 IT講習会。昨日反省会などがありまして、どのような状況だったかということを振り返ってみました。延べ245人の方に受講していただいて、授業の時間数が72時間という感じです。20人以上のメンバーが参加して、IT講習会を行いました。これもまた、平成14年度もこれを補足するような、なんらかのかたちで活動ができればいいなと思っています。
 こういった活動をとおして、パソコンは、本当に私たちにとってこれからますます必要になっていく道具ですので、そういったものをとおして、自分たちの何がしたいかということの実現のために使っていければと思います。
 皆さんのお手元に配られていますか。刷りたてほやほやのパンフレットがあると思いますので、そちらの方に事務局等の連絡先やホームページのURL等も入っていると思いますので、また見ていただければと思います。ありがとうございました。

**ピアネット**
(佐々木) ありがとうございました。なぜ刷りたてかというと、昨日本当は刷らなければいけなかったのですが、飲んでしまったという話ですね(笑)。
 それでは今回最後に、ピアネットの岩田さん、よろしくお願いいたします。

(岩田) はじめまして。「ピアネット」の岩田みどりといいます。
 先ほどもお話がありましたが、ピアネットはパソコン通信と言われている時代から発足しまして、小川代表が障害者とその関係者、施設や職員の方たちに呼び掛けて作りました。
 発足当初から、「障害者とコミュニケーション」ということをとても大事にしていまして、パソコン通 信を通じて在宅になりがちな仲間とコミュニケーションをとって、そして社会への参加のきっかけにしていこうということを活動の柱としてきました。
 そこで、パソコン通信からだんだんインターネットへ移っていきましたが、その間もずっと「パソコンが使いにくい、分からない」と言う当事者のところへ発足当初から「サポート隊」という名前でご自宅へ伺って、サポートすることを心掛けて、続けてきました。サポートをして、行った方たちはパソコン通 信に参加していただきました。そこで、パソコン通信の世界でいろいろなコミュニケーションが始まり、そこの中でいろいろな会議室があります。恋愛の話をしたり、あるいは自分の悩みを語ったり、パソコンの使い方が分からないけど、どうすればいいのかというような質問があると、またパソコンに詳しい方たちがすぐにお返事をしてくれたりということで、自宅にいてもそこでいろいろなやり取りをして自分の世界を広げることができると。そういう有効な道具としてパソコンを使って、仲間づくりということを一緒にしていきました。
 今現在、活動の主な柱は、ホームページを持っています。そこで情報発信をしていく。自分たちの考え方や思いなどを発信していくということです。後、掲示板もホームページの中にありまして、そこでいろいろな仲間からの情報を載せていただいたり、答えたりということをしています。後は会の活動のお知らせなどをしています。
 あと、メーリングリストも運営していまして、これにも障害者だけではなく、いろいろな立場の方たちが参加してくださっています。今登録メンバーは、30名はいると思います。静岡県の方から入ってきてくださっている方もいますし、埼玉 の方の方もいたり、非常に幅広い地域からいろいろな方たちが参加してくださっています。
 あと、メールマガジンの発刊も最近始めました。
 「サポート隊」のほうは、最近、地域に本当にたくさんのサポート隊、パソコンボランティアの方たちが活動していますので、発足当初、ピアネットは結構神奈川県全域にわたって出掛けたりしていましたが、最近はあまり遠くに行かなくてもよくなりました。なるべく身近なところで応えていこうということでしています。
 また、ピアサロンという活動はどこかの会場を借りて、みんなそれぞれ手持ちのノートパソコンなどを持って、そこで教えたりしています。
 それから、オフラインミーティングということで、会って、顔を合わせて話をすることもとても大事だということで、それも続けております。
 自主勉強会もしています。最近の活動の中から、メールマガジンの中から拾いますと、トピックスとして「ピアサロン小田原」、「ピアサロン藤沢」という支部のようなかたちで2つのグループがピアネットの中からまた発生してきました。こちらはそれぞれピアネットに参加していた方ですが、地域が遠く、どうしても横浜に集まる機会が多いので、それが大変ということもありました。「じゃあ、自分の地元で新しく、そういう活動の場を作っていこう」と。藤沢の方は視覚障害の方に対して、インターネットの講習などができるように、CD−ROMで、その講習方法を学習できるようなものを作ったりしています。小田原の方は障害のあるお嬢さんがいらっしゃる方で、自分のご自宅にパソコン何台かをLANでつないで、そこでパソコンを教えて差し上げられるようにということで始められました。
 ピアネットのメーリングリストなどにサポート依頼が来るのは、最近は戸塚、磯子、鶴見など横浜近辺が多いです。その中でもウイルスにより被害であるとか、OSの再インストールのお願い、インターネットの設定、ウイルスソフトのインストールなどのご依頼が増えています。これらもピアネットのメンバーでも少しずつそういう対策、ウイルスのことなどをしなければ・・・

 オフラインミーティングは毎年、年に数回ですが、新年会、お花見、バーベキュー、ビアパーティーなど。それからボウ年会。こちらは「忘れる」ではなく、来年を望む年にしようということで「望年会」を恒例でしています。ピアネットの仲間は障害のある人もない人も一緒に活動をしていることが特徴で、サポートする側、される側ということはお互いにあまり意識がない部分もあります。集まって飲んだり、おしゃべりしたり、歌ったりすることが大好きという仲間たちです。
 また、発足当初から在宅就労への試みということで、パソコンを使ってアンケートの入力などをしてきましたが、その在宅ワークグループがいよいよ本格的に動き出しましました。「e工房」という名前でピアネットから独立して、企業組合というかたちをとって、この4月から新しくスタートいたします。これは横浜みなとみらいの横浜ワールドポーターズの中のNPOスクエアに共同事務所を借りることができましうた。こちらは本当にまだ生まれたばかりで、これからきちんと企業としてやっていけるのかどうか、大変いろいろな難問がたくさんあると思いますが、少しでも自分たちが仕事をしていこう、パソコンを使ってしていこう、という試みです。ピアネット本体からもご支援をいろいろなかたちでいただいていますので、これからも自分たちなりに努力をしていきたいと思っています。
 そういうことで、一応ピアネットとはこういうグループです(笑)。黄色い表紙の中に連絡先などがございますので、ご関心のある方はご連絡をください。どうもありがとうございました。

(佐々木) ありがとうございました。これで午前の部、梅垣さんの講演、そして県内パソコンボランティアグループ活動紹介を終わらせていただきます。
 これから休憩に入りますが、休憩は1時間と書いてあります。今、私の時計で12時40分を回っています。あともう一つ、パネルディスカッション、「これからのパソコンボランティアは?」を13時40分から始めたいと思います。その時間になりましたら、またここにお集まりいただければと思います。
 表紙の方は1時になっておりますが、中は13時30分で、更にそれが10分遅れて13時40分からということになっておりますが、よろしくお願いいたします。
 では午前中については閉会したいと思います。ありがとうございました。



*パネルディスカッション*


(佐々木) それでは、午後のパネルディスカッションを開催したいと思います。よろしくお願いいたします。一応時間は3時までとなっていますので、その3時までの時間をいかに有意義に使いながらします。司会はDream Navigator Yokohamaの佐々木です。私はどこに行っても司会しかさせてもらえないという運命になっていますが、そういうことでよろしくお願いいたします。
 パネラーは午前中に講演をしました川崎のPSVの梅垣さん。それから同じく川崎PSVで活動しています、視覚障害の当事者の立場からということで丸山さん。朝のあいさつだけでは物足りない、しゃべる機会をということでピアネットの小川さん。何かむさ苦しいオヤジたちばかり並べるのはよくないということもありまして、若い世代の当事者代表として菅谷さんにピアネットからお願いしています。それから、一番右側、一番むさ苦しい車いすのオヤジが座っていますが、Dream navigator Yokohamaの事務所の岡村さんにお願いしています。
 それでパネルディスカッションのテーマですが、「これからのパソコンボランティアは?」ということで、過去のことはとりあえず置いておいて、先を見ようということなのかどうかはよく分かりませんが。ここにお集まりの皆さんがパソコンボランティアに興味を持っていただいて、更に、いろいろなかたちで動いていくことになると思います。そういうことを意識して・・・。皆さん、これまでいろいろなかたちで、団体、同じところにいてもかなり違うかたちでされているかたもいます。皆さんの、ここに集まっている方の経験を踏まえて、ここに集まっていらっしゃる方がパソコンボランティアについて、少しでも具体的なイメージを持たれて、そしてこれから各地域で具体的に活動に参加していただけるような内容になればいいなと思っています。
 こういうかたちでパネルディスカッションをしようと言った言い出しっぺが小川さんですので、まずは責任を取っていただいて、問題定義というかたちでご発言をいただきます。その後、小川さんの話を受けて、この参加者の方に自己紹介的な話をしていただくところから始めたいと思います。
 では小川さん、よろしくお願いいたします。

(小川) ピアネット代表の小川です。何からしゃべったらいいかよく分かりません。今、頭にポッと浮かんだことをお話しさせていただきたいと思います。
 実は、5年前に『障害者とMacintosh』という本を出版させてもらいました。そのときの取材でアメリカはどうなっているのかと思いました。少し調べさせていただいたところ、障害を持っている人のためのパソコン展示場みたいなものをアメリカ全土で28州43箇所以上、NPOが作っているというのです。ATA(Alliancs for Technology Access)といいそこに行くと、その人、その子に合ったパソコン機器、周辺機器などが選べて、そして少し貸し出してもらえます。そしてそれが合っていれば購入するといったセンターのようなものをNPOですからボランティアのようなものが運営している。それが全国ネットになっているということを「すごいなあ! やっぱりアメリカだなあ!」と。5年前ですから、いつか日本でもそういうものができればいいなと思って、活動をしていました。
 僕らの、ピアネットの悩みがあります。まずはお金がないということ。やる気だけはあります。それから場所がない。場所を見つけるのも大変。でも何とかしようという気合いでずっとしてきたという感じがあります。ですからその辺の話から・・・。
 どうしてこういうふうに続けられたかというと、アメリカでこういうことをしているから日本でもしたい、それ以上のことができるかどうかは分かりませんが・・・というのをずっと思い続けて、訴え続けて、やり続ける。そうすると、お金を持っている人からもらえると。今回も電気通 信普及財団からお金をいただいたのですが、そういう動きもできるし、場所を探しているとどこかの企業や学校などから借りられたり、やはりやる気でいると、夢を語っていけばいくほど、仲間が増えるし、助けてくれる人が増えるのではないかと勝手に思っています。
 先ほど岩田さんが言いました「e工房」というものをし始めましたが、障害を持っている人が家にいながら仕事ができる、そのためにパソコンを使うという活動に・・・。パソコンボランティアから少し変わったかたちに少しずつなってきています。
 私は個人的には今、老人ホームの職員です。その中で4階、5階には目の不自由なお年寄が50名暮らしていらっしゃいます。そのうちの1人の方がパソコンをやっと使い始めました。「やっぱり、ここから何か始められるぞ」ということを考えています。取り留めなくなってしまうので途中で止めましょう。

(佐々木) いいところじゃないかと思ったのですが。

(小川) いいところじゃないかと思いましたか? もう少し言っていいですか?
 それで、そう思ったら、そのお年寄りはパソコンを持っていても情報がないのです。こういうふうに使うとか、こうするのだと。そういうことを教えてくれるボランティアがいません。そのときにどこかへ声を掛ければ、「あっ、私」と言ってくれる人がいると素晴らしいなと。そこもやりたいなと。ですから今、私はピアネットでボランティアをしていますが、自分の身近なところでもう一回考え直してやり直せればいいなと、最近個人的に考えています。

(佐々木) では、ここに座っていらっしゃる方、最初にお名前を言っていただいてから発言をすることが規則のようですので、よろしくお願いいたします。
 丸山さん、行きましょうか。よろしくお願いいたします。

(丸山) 川崎パソコンボランティアの丸山です。私は視覚障害の当事者ということで今回来ました。では、簡単に自己紹介をしておきます。
 私の視力は今、指数が20センチ。ですから、大体目の前で指をかざすと何本か分かるくらいです。もう少し調子がいいとひょっとしたらみえるかなという感じです。そのくらいの視力です。生まれたときはもう少し視力が0.1くらいはありました。小学生くらいまで。そして少しずつ悪くなってきました。小・中・高とずっと盲学校に行きまして、実は司会をしている佐々木先生に僕は授業を習いました。その後、大学に進学して、専門は数学、幾何学です。三角形や四角形などそういう絵を描きます。どうして盲人がそういうのをするのかということがありますが、もう少しばかなので勉強をした方がいいだろうと思い、大学院に行きまして、数学を更にしました。そこでもまた「空間構造論」という空間の話をして、さすがに少し疲れてきましたので、そろそろ働こうということで、働き始めました。
 仕事の内容はスーパーコンピューターで使われる、先ほどテレビに出ていた柴田さんと同じような・・・と言いますか、少し違いますが、計算するプログラムの開発です。横浜に今年の春からできた「地球シミュレーター」というのが、新杉田にありまして、一応世界最高速のスーパーコンピューターです。その中で動いている方程式の計算をするプログラムを作りました。それはできたので終わりましたので、今度から「バイオインフォーマティックス」という話で、いわゆるゲノム情報、人遺伝子が解析されたという話です。その解析された結果 を基に、いろいろな薬を作るというのをしようという方向で研究しています。私たちの職種は研究職といいます。そういうことをしています。
 どうしてこういう話をしたかと言うと、こういう経歴がたどれたと言いますか、こうなったのも実はパソコンがあったからだと思います。もしパソコンがなければ、私は今、ここにいないと思います。たぶん、ご飯が食べられる分をどうしようかと言っているかもしれません。それくらいの存在です。
 このように、自分がパソコンと出会うことによって得たものは、もちろん仕事も得られましたが、例えば趣味の幅も広がりましたし、人とのコミュニケーションとか、そういうことができる。とにかくすごく社会の中に入ることができたという実感がありました。それを独り占めすることはもったいないので、せっかくですからいろいろな人にしてほしいなという感じでパソコンボランティアを始めました。
 パソボラをしていて良かったこと。障害者の立場から見た場合に良かった点として、1つはやはり同じ障害、特に視覚障害ですが、視覚障害を持った人たちにも、例えばメールやインターネットが使えるということを知ってもらうことができました。そして、今まで体験できなかったこと、例えば新聞を読むとか、CDショップのCDの中身が見ることができたとか、日常生活の情報を得るということができるようになってもらえたということは、自分にとっても同じ仲間が同じネット上の仲間というものが更に増えたという点ではすごく良かったと思います。
 それからもう1つ。今度はサポーター、ボランティア側からの違った視点から見ると、川崎PSVの中には健常者のサポーターももちろんいます。そういう人たちに視覚障害者の人たちならばどういうところが不便なのかを知ってもらう。例えば画面 の情報が見えない、マウスが操作できないといったときに、どうすればパソコンが使えるかということを知ってもらうことができたということが、僕はすごく重要だと思います。やはり一般 の人は普通、パソコンは目が見えないと使えないと思う人が多いと思います。実際、私の職場でも電機メーカーの人とメールで仕事をするということは当たり前ですが、それを私自身が1人でしているということを知ると、みんなはすごくびっくりします。補助機器をいろいろと使うことによってできるということを直接知ってもらえる機会が増えるということは、より一層バリアフリーと言いますか、啓もう活動につながっていくのではいかと。そういった2つの点がパソボラの意義ではないかと考えています。

(佐々木) ありがとうございました。奥の深いところに行きそうな感じがします。
 それでは、続いて障害当事者ということから、菅谷さんにお話をしていただこうかと思います。今回、この中で一番若い世代ですので、若い世代からの・・・岡村さんは若くありませんので(笑)。若い世代からということからも少し発言していただけたらと思います。

(菅谷) ピアネットでもうすぐ2年生になります菅谷あゆみです。
 パソコンと出会ったきっかけみたいなものをお話ししますと、私はパッと見た感じでは、障害を持っているということをあまり分かってもらえることが少ないのですが、小学1年生のころから高校3年生まで養護学校に通 っていました。通っていろいろとしているうちにワープロを覚え、パソコンを覚え・・・と段階を踏んで、卒業をしてから本格的にパソコンをいじるようになりました。
 ピアネットの方も1年生ということで、まだまだ分からないこともたくさんあります。今、「若い」と紹介されましたが、もう22歳になりました(笑)。
 やはり分からないことがたくさんあります。パソコンという世界を広げていくためにどうすればいいかということは漠然としていました。そのときにいろいろな施設などにも入ったりして訓練をしている間に、ピアネットのことを知りました。1回目に遊びに行ったときに、すごく「ウエルカム!」という状態で大歓迎していただいて、それから少しずつ皆さんのことを見よう見まねでできることから始めていくようになりました。
 皆さんの活動を見よう見まねをしながら、現在は地域作業所という障害者の人がたくさん集まっているところで仕事をしています。そちらは今度、一般 就労を目指すようなところで、見た目は普通の雑貨屋さんです。店舗として構えています。そこで働いている人が気付いたら障害者というところから、自分をアピールするところなど磨くようになりました。その中でもパソコンをできれば教えてほしいということです。ピアネットを活用しながら、皆さんにどうすればいいかという相談をしながら、いろいろとしていく中で、自分でもできることが少しずつ見えだしていると思っています。
 そちらの一般就労を目指すということですが、私も就職活動を現在しています。見よう見まねがとてもたくさんあるのですが、今度はホームページを作りまして、今、大体月に1,000カウントくらいいくようなホームページを作ることができるようになりました。そのホームページは就労に関してもすごく武器になっています。履歴書上だけでは分からない「私自身」を分かってもらえるような、すごく大切なツールになってきましたし、そのお陰で先日テレビに出させていただいたり、全国各地にいるのではないかというくらい、友達もたくさん増えました。今までの自分の行動範囲では考えられないような友達が増えました。年齢も障害も幅広く、障害だけではなくて、健常や障害の人と分け隔てなくコミュニケーションを取れるようになったということが私の中でパソコンは、充実している生活の一部になっています。
 パソコンは仕事にも使えると思いますが、私は遊びやコミュニケーションをするところにたくさん使っています。メールやホームページで情報発信をすることなどです。パソコンを使うことによって、言語障害、聴覚障害、視覚障害の人、もちろん健常の人でも、そういう中身同士の付き合いもすごくしやすくなったなと思っています。そういうこところを今度はいろいろな人に知ってもらえることができないだろうかということが、私の中の課題です。ピアネットを活用していきながら私なりの、それこそ分かっていないからできるような、フランクな伝え方ができればなと思っています。
 パソコンというツールを固く考えている人がたくさんいます。お年寄りの方だと、それこそ手を付けにくかったり、若くても「難しいものだから」と思っているので、「じゃあ、ゲームをやってみましょう」、「囲碁をやってみましょう」、「将棋をやってみましょう」など、そういうゲームから入ってみて、楽しむところから始めることが必要だと思っています。私の方でも、自分のホームページを作ることであったり、あとバンド活動をしていまして、その方にも生かせていければと頑張っています。
 私の生活はパソコンでネットを使った状態でいろいろな人とコミュニケーションをするということがとても大切なものになっているので、なくなった瞬間が今の私には想像できません。
 今後どうなっていくのか考えますと、パソコンボランティアがもっとたくさんいれば、もっと身近にもっと聞きやすくていいのにと自分でも思うことがありますし、私ももっと身近な人にどんどん教えてあげられるように勉強していきたいです。体が追いつかなくて歩けなくなったりすることもあるので、もっと身近に自分も聞けるところがあるといいし、勉強できるところがあるといいし、その中ではやはり仲間も必要ということで、もっとこれから発展していってほしいと思っています。

(佐々木) ありがとうございました。こういう歯切れのいい話があると、次の人はしゃべりにくいですね。では、岡村さん、お願いします。

(岡村) 皆さん、こんにちは。岡村です。Dream Navigator Yokohamaの事務局長と書いてありますが、あまり事務局長の仕事をしておりません。本業は障害者地域作業所。昔は「ごぼうハウスP・C」ですが、4月からと言いますか、本当はもう変わっていますが、「アスタP・C」という名前に変えました。これは組織上、運営委員会が分かれたということで名前を変えたのですが、「アスタ」という意味は、コンピューターのアスタリスク。それを縮めました。アスタディスクはワイルドカードのようなものです。そういった意味合いで「アスタP・C」。そこの作業所の所長をしています。
 それと、いろいろな事をしていますが、私がなぜこの作業所とDream Navigator Yokohamaというパソコンボランティアにかかわっているか。私たちの作業所はコンピューターを使って作業するのですが、作業所内の何十台のコンピューターのメンテナンスやシステムLANを全部組むなど、いろいろと環境を整えてくれたのはみんなボランティアさんです。これを業者に頼んだら何百万というお金になるらしいのですが、こつこつと、こうしたらいいのではないか、ああしたらいいのではないか、と限られたお金の中で設定をしていただいて、今は非常にいい環境で仕事ができるようになっています。そのボランティアさんを放したくないので私が事務局をして、事務局をうちの中に置いてあるという・・・。本当の意味で何とかつなぎとめておきたいなと。仕方なくボランティアもしているようなところもあります(笑)。
 それと、コンピューターがいっぱいあるので、その施設を有効に使ってほしいという願いもありまして、そのボランティア活動の中でうちの施設や設備を使ったりしていただいて、多くの障害を持った人たちにコンピューターの触れる機会を設けたいと考えたわけです。
 今の活動は横浜ラポールが拠点になっていますが、最近は飲み会ばかりです。うちの作業所でするのは飲み会に限ってです。そういうことで、Dream Navigator Yokohamaという所と、うちの作業所の関係を少し紹介いたしました。

(佐々木) 何か・・・ね。そういう話に行くのですか?

(岡村) ええ。施設の話が先ほど小川さんからあったので。

(佐々木) なるほど。その話はまとめて・・・。
 先ほどからも質問が出ていました活動場所の問題、それから活動費はどうしているのかということがありますので、それを含めて次の話題の方向のときにしたいと思います。
 午前中は一般論的な話が多かったと思いますが、梅垣さん自身が川崎でパソコンサポートボランティアをしようと思った直接のきっかけから展開をしていただいた方がいいかと思いましたがいかがでしょうか。

(梅垣) 少し違うことを話そうかと思っていたのですが・・・。取り混ぜてお話しいたします。ボランティアをしている方がたくさんいて、私も午前中、皆さんに散々しゃべったので、この場では別 の立場でしゃべってみたいと思います。
 実は私は今、企業で仕事をしているエンジニアです。電気工学というものを昔していまいた。もともとエンジニアです。小学3年生のときは大工になりたいと思っていましたし、要するに何か物を作るということが大好きな人間でした。
 大学を卒業して、すぐ就職した会社がありました。これはあるオーディオを作っているメーカーですが、そこで何年か機械の設計をしておりました。テープレコーダーみたいなものや、先ほどバンドという話がありましたが、バンドで使うようなマイクやスピーカーなどを作っているメーカーでした。最初のうちはとにかく一生懸命に物を作るので精いっぱいで、先輩に教えてもらって作って、何年か後には自分で物を設計しなさいという段階になり、いくつか製品を開発しました。メーカーですから、たくさん作ってたくさん売るということが使命で、どれだけたくさんユーザーに使っていただけるかということが大きなポイントです。ですから月産一体何台作るのかという話でコストダウンと量 産の話をいつもしておりました。
 ある時、ある本を読みました。本当に豊かに生きていくということはどういうことなのかという本でした。はっきり言って、機械というものは我々の生活になくても別 にどうと言うことはないです。恐らく1年か2年使ったらごみになって捨てられるような、そういう電化製品を私は作っていました。その当時の私の気持ちで言えば、そういうごみみたいなものを一生懸命、時には徹夜をして開発して、世の中に送り出して、一体何の意味があるのだろうかと思いました。もちろんいろいろな機械が世の中には必要で、それを必要としている方もいます。我々はエンターテイメントのための機械を作っていましたから、エンターテイメントが必要だということを、今は理解できますが、まだ20代だったころにはごみみたいなものを毎日一生懸命作っているという気持ちが非常に強くなりました。しかも、何年かしたら主任、課長などの試験もあり、課長になると「きみ、ちょっとこれの仕事が遅れているから残業しなさい」と言って、人の管理をし始める。そういう人生が豊かなのかと私はふと立ち止まってしまいました。企業戦士にはなれませんでした。
 会社を辞めようと。後で聞きますと、実はそのころ会社もおかしかったのです。今もある会社ですが。会社を辞めまして1人で仕事を始めました。仕事を1人で始めたから、その思いが実ったかというと、残念ながらそういうことはありませんでした。ただ、その技術を役に立てたい。いい技術を人に喜んでもらえるような、役に立つ技術として使いたいというのが、僕の根本にある気持ちです。このためにいろいろなことをしようと考えました。
 この辺からボランティアの話に入りたいと思いますが、そのパソコンボランティアも別 にボランティア活動を広めようと最初はしていたわけではありませんでした。私がたまたまエンジニアでパソコンや機械に詳しいものですから、友達から教えてほしいと言われたので教えると。そして、教えてあげた人が「ああ、良かった。使えるようになった」と喜んでくれる。喜んでくれるということは僕に対する感謝でもあるけれども、それができている技術に対する一つの評価です。ですから技術が人の役に立っているという実感を得ることができる瞬間です。私は、そのパソコン通 信の中で、ソフトウエアを開発したりして遊んでいましたので、そのソフトウエアもやはり「役に立つ」、「便利だ」と言ってもらえることが僕にとっては喜びであり、技術が役に立つことが非常にうれしかったのです。
 そのことがだんだんとパソコンボランティアのような活動に自然とつながっていったということが事実です。ですからみんなでしている方はいましたが、個人的に動いている方のほうがむしろ多かったです。それがやがて、パソコンボランティアのグループが全国にできて、「どうして川崎にないのですか」という一通 のメールをいただいたところから、実は川崎に作ることになってしまいました。
 川崎に住んでいたある若い方から「日本障害者協議会の偉いところにいる梅垣さんが、どうして川崎にボランティアグループがないのですか」と言われました。偉くないのです。そう誤解されるのですが・・・。そこまで言われたらしないと仕方がないかなと思いました。でも最初は非常に心配でした。川崎全域をサポートするなんてことができるとはとても思えませんでした。ですから最初に集まったときは、「川崎北部パソボラ」としようと僕は提案しました。川崎の北の方だけをしようと。全域なんて無理ということで、実は最初はそういう名前で準備が始まりました。ですが、やがて人が集まってくると、いろいろな人たちがかかわるようになってきて、これは川崎全域でやらざるを得ないと腹をくくった瞬間がありました。そういうことで今、川崎をサポートできるようになって、そういう組織になりました。
 あともう一つだけ話したいのは、やはりその中で僕のこだわりは「技術を役に立てる」ということです。パーキンソンという病気があるのですが、ある時、ボランティアの中で、パーキンソンという病気になってしまった、前に学校の先生だった女性のサポートを頼まれました。私は、パーキンソンは本で読んで知っているくらいの病気で、どういう方かも分からないし、ボランティアでサポートできるとは思っていなくて何度かお断りしたのですが、どうしてもということでその方のサポートをすることになりました。
 サポートしたのは1年足らずの短い間でした。パーキンソンという病気も体の筋肉が硬くなって動かなくなる病気です。会話もできなくなるのでどうしてもパソコンをしたいと。月に2回通 いましたが、その先生は1回2時間の中で、メールを受信して読んで、そのうちの1通 に2行くらいの返事を書くのに2時間掛かります。恐らくパソコンをしているとだんだんと症状が悪くなると私は思うのですが、ですが、かじりついて・・・。ある生徒さんから来るメールに返事を書きたいと。どうしても返事を書きたいと。そうすると、我々はその気持ちにできるだけ応えたくなってきました。それと同時に、そのときパソコンを使ってしていましたが、パソコンはメールを送りたいだけなのにややこしい操作がいっぱいあって、その先生は追いつかないのです。もっと簡単な機械が欲しい。パソコンではなく、本当に簡単に電子メールができるような機械が欲しいなと思っておりました。
 私は教え子の方に一生懸命にメールを送るので、いつか僕にもメールを送ってくださいと言っていましたが、残念ながらその先生は、ある日、たんが詰まってお亡くなりになりました。ちょうどパソコンボランティアでサポートすることになった前の日で、調子が悪いので明日のサポートはやめにしてくださいというFAXが入った次の朝に亡くなっておりました。私自身はメールをいただくことができませんでした。
 そういうことがあって、実はある会社でもっと簡単に使える情報機器を開発したいと思って、今、少しボランティアをサボっていると思います(笑)。ボランティアをかなりサボって、障害者の方がもっと簡単に使える機械を作りたいと思って、それに力を入れております。

(佐々木) こういったかたちで、私が話してほしいと思ったことをしっかりと話していただきました。心と心が長年の電子メールの付き合いでできたかなと思っております。
 さて、パソコンを使ってのいろいろなかたちでの事例なども皆さんが出されましたし、パソボラの活動が皆さんの日常生活の活動、あるいはサポートという活動をとおして、障害者を理解するなどいろいろなかたちになってきているのではないかと思います。こういうパソコンボランティアの活動を具体的に考えてみますと、今日も梅垣さんのお話の中でも触れられていましたし、それからその後、各団体の方々が活動を紹介する中でやはり非常に苦労されながら活動をしているということは正直なところ事実です。実際、具体的にボランティア活動をするときに、パソコンを用意したり、最近はインターネットを使って電子メールを出してみたい、あるいはホームページを見てみたいという要望の中で、回線を引いたり、いろいろな苦労をしながらされているのではないかと思っています。具体的にパソコンボランティアの活動を進めるための場所、あるいは活動費用について具体的なお話を聞きたいというフロアの方からも要望がありましたので、とりあえずピアネットさんあたりはどのようにされているのか、お話を伺いたいと思います。

(小川) まずはお金からいきます(笑)。
 ピアネットを始めたのは1993年ですが、その前の2年間、「障害者とワープロ・パソコン通 信研究会」を立ち上げました。そのころは、パソコンはオタクしか使わないものでした。パソコンを持っているというと、変人でした(笑)。そのころに「障害を持っている人にとって、パソコンやパソコン通 信がとても役に立つものだ」と仮説をたてました。そしてどのような活動をしているのか、本当に役に立つのかどうかを研究しようという研究グループを立ち上げました。研究グループを立ち上げたのですが、お金がありません。今も同じだと思いますが、いわゆる活動資金の中でも、どこに集まるか、機材をどうするか、こういった講演会をするにはどうすればいいかというときにお金がなかったものですから、どこからか助成金がもらえないかと一生懸命に捜しました。
 社会福祉協議会、もしくはボランティアセンターから補助金をもらうというのが一番簡単なところですが、僕らがしたのは、研究なのだから研究助成を受けようということで申請書を書きました。一生懸命に申請書を書いて、助成金をいただいたのは電気通 信事業財団で、全国の先進的な活動をしている人たちを呼んで、「こういう事例がある」、「ああいう事例がある」というのをお聞ききするのと合わせて、僕らが実際に障害者を持っているところの人に行ってパソコン通 信をつないで帰ってくるということをする、アンケートをするという、この3本柱で、研究助成で1年間活動をさせてもらいました。
 結論としては、パソコンは障害者にとって必要だという結果を出して、原稿用紙で40枚くらい・・・もっと書いたでしょうか。それを出して報告書としてそのときの助成金は終わりました。そのときの成果 は電気通信普及財団研究調査報告書No.9(平成7年)P267に掲載されています。
 いわば研究を通して人脈とノウハウを広げ、仮説が正しいかどうかの検証もしていきました。その年の活動資金をそれで組んで、その間にほかから活動資金は生み出せないかと。そのころは大きな資金がなければ、たとえばパソコン通 信のホストを用意したり、電話線を用意するということもしなければパソコン通信ができなかったものですから、まずそれを用意しました。今度は企業にお願いしました。マックエイトという団体があって、そこからパソコンをもらったり、一生懸命にあちこちに網を張って、たとえばモデムの会社とかパソコンの会社から寄付を募ってもらってくるという活動もしました。パソコン通 信になれてコンピュータにみんながなれてくる頃、アンケートをとる技術がみんなにできたので、アンケートの下請けを障害者と一緒にしました。例えば鶴見区社協からも仕事をもらっていると思いますが、アンケートの仕事をもらって、それで活動資金をためて、運営するとか、そういったことをして、ピアネットを実験段階から本稼働に移すということをしています。
 その後、ピアネットの中では仲間ができて様々な話題が真剣に話し合われるようになり、なかでも障害を持つ人が医療にかかるときの苦労が話題となり、この話をアンケートをとってみんなでまとめよういうことになり、トヨタ財団から「障害者と医療」という報告書を出すということで助成金をもらいました。そのためのコミュニケーションインフラとしてパソコン通 信やインターネットを必要だということを1項目入れておきました。そういう活動が積み重なってくると、助成金が取りやすいのです。今回のこのプログラムもそういったかたちで実績を作って、実績の中で出していって、助成をお願いするようにしています。
 今度は場所のことですが、ピアネットの「ピアサロン」。最初は場所がなくてジプシー生活をずっとしていました。社会福祉協議会の場所を借りて、そこでパソコンを置いて、みんなで勉強会をして、また外して帰るということをずっと2〜3年続けました。岩崎学園という所に、「かながわマルチメディアサロン」というのがありました。事業部長さんとじっくり話し込んで、2年間借りることができました。そこは5個か6個くらいの企業からパソコンを無料で提供をしていただいて、そこでインターネットがつないであって、常設で置いてある場所でした。そこを月1回借りて、そこで勉強会をしていました。
 参考になるかどうか分かりませんが、とにかく「無いよ」と言っていても駄目で、どこかにはある。そのときに協力を求めるというか、企業に行って協力を求めれば、今は割にそういうことを頑張って出してくれるところもあります。それから最近ですと、型落ちのパソコンを寄付してくれるとか、リースバックのパソコンをくれるとか、そういう活動もあります。日本障害者協議会でも随分紹介されたりしています。
 そういう感じでピアネットは何とかして運営を頑張っています。あと2年くらい資金は持つかな(笑)。
 あと、会員からは1年間に2,000円の会費をいただいています。以上です。

(佐々木) そうしたら、菅谷さんにその辺りの・・・小川さんがしゃべったことに何か付け加えることはありますか。会費は高いとか(笑)。

(菅谷) みんなで集まるときに会場費など毎回取ったりします。大体200円もらっています。でも、それだけ実のあることであればお金を出してもそれほど嫌ではないです。それも仲間ができるという部分ではいいと思います。なかなか最近は拠点が決まらずに集まれないことが少しさみしいと思っています。

(佐々木) 「集まる場」は本当に大事なことになっていると思います。では、川崎PSVはいかがですか。では、丸山さん。

(丸山) 川崎PSVの場合、とにかく場所は決まった所がないので、例えば例会をするときはどこかの会場を借りりて、借りた場所で集まるというかたちです。それから物にしてもまだ今のところ個人で会の物品を持つという状況です。資金面 ではまず会費。一般会員は会費を年間2,000円。それから後は、助成金などに応募して必要に応じて集めるということです。お金については、お金をたくさん集めればいいというものではなく、川崎PSVの場合はまずどういうことに使うかということです。まずは会のパソコンや音声ソフト、拡大ソフト、肢体不自由者用の補助機器など、そういう一般 に出回っていない物、特に補助機器の学習会などをするので、そのために使う機器の購入をするための資金調達、お金を集めるということをしています。確かに固定した場所というのは、例えばその会の物を置いておく場所などがあると助かるなと感じてはいます。

(梅垣) ひと言付け加えますと、毎年2,000円いただいている会費と、たまにいろいろなところからいただく企業からのご寄付とかありまして、財政は膨らむ一方で、みんなで何に使おうかという・・・。大した金額ではないですが、みんなで何に使おうかと予算を立てるのに四苦八苦をしてます。たくさんお金を持ってきて、何かイベントをするということが我々はないですから、お金の使い道にいつも困っているので、あまり「お金がない」という感覚は我々にはありません。お金を使わないでうまく活動をするということを考えているからかもしれません。

(佐々木) お金を使わないでする活動ということで、何か特出するようなことはありますか。

(梅垣) 我々は、在宅、要するに押しかけサポートが基本なので、そのときの交通 費くらしかお金が掛かりません(笑)。例えば何千円も掛かると何ですが、川崎は縦に細長くて、東京都があって、多摩川があって、こちらにデンと横浜がいて、その間にギュッと挟まれた、押しつぶされたあんパンです。そのあんパンのあんこのところにちょうどJR南部線が走っていますので、何百円でどこへでも行けます。実は私は代表として交通 費を行った人に払いたいのですが、「そんなん要らん」という人が大半なので、お金を払うところがありません。ですから別 に秘けつがあるわけではなく(笑)、自然とそうなっているということが実体です。ただ、いろいろとお金を掛けてしたい事業が全然ないかというと、そういうことではなくて、したいことはみんなの中にもっとできてくれば、もっと「お金、お金」と言い出す時期が来るのかもしれません。

(佐々木) ありがとうございました。それでは岡村さん、Dream Navigator Yokohamaの説明をお願いします。聞いている人は不安がるかもしれませんが・・・。

(岡村) 梅垣さん、使い道に困っていたら私に相談してください(笑)。新横浜の街に貢献したいと思います。
 Dream Navigator Yokohamaもお金に困っていないと言えば、困っていません。今の梅垣さんの話のように使うところがありません。2カ月に1回のパソコン相談会の時に、横浜ラポールとの共同の事業なので、謝金が個人個人に出ます。一応「会に寄付してね」といったかたちです。強制ではありません(笑)。お願いをして、いただいています。
 去年はいろいろな区や横浜ラポールでのいろいろなパソコンを使った委託の事業をドリナビで受けまして、それがかなりの額になります。コンピューターも、うちは作業所に日曜日に運んで、設置して、イベントをして、撤収するということを結構何回かあったので、今少し潤っています。ハードウエア的なところは、作業所にいろいろとあるので、それを流用しているというのが現状です。何も使うところはありませんね。佐々木さん、今のところは・・・。

(佐々木) そうですね。何かイベントをすることから言うと、会場費などいろいろと考えたりするところもありますが、今の世の中、お金を使わないでできる場所が結構あります。そういう所をうまく利用してすることを考える。そこそこできるし、以外と神奈川県の場合、そういう場所が集まりやすい場所にあったりします。
 例えばこの横浜ラポールで何かをしようとすると、新横浜からここまでアクセスをするというときもリフト付きのバスがあります。それから駐車場がここの場合は400台あって、車いすでの乗り降りも割合に楽であると。そういういろいろなことで障害者を持っている人たちと何か一緒にしようというときに、交通 、アクセシビリティや、いろいろなことを考えなければいけませんが、そういうような施設がいろいろな所にあるということを巧みに利用した方がいいだろうと。今は新横浜にあるわけですが、これからいろいろな所にそういうものが恐らくできていく可能性になるというか、具体的な動きとしてあると思います。やはり気軽に動ける場所、それがたまたま障害の人たちが利用しやすいということだけではなくて、街に出ることが・・・岡本さんはまだ行っていませんが、楽しくなるようなこととつながったかたちでいくと、もっといろいろな所でイベントができます。
 例えば100人集まって、1人参加費100円くださいとなると、それでもう1万円になります。ですからそういうかたちで1万円集まったところで、何か皆さんに使ってもらえるような資料を作ろうといったことを考えられると思います。障害を持っている人の観点から言っても、集まりやすい場所を我々自身がいかにいろいろな所で確保していくのかということ。その場所の問題は非常に大きいのではないかという気がします。
 具体的なところで、例えば講習会をしたいというときにパソコンを使うわけです。今日のお話の中ではいろいろなところで苦労をしながらパソコンを集めてきて、実施をするということで、パソコンボランティアの活動をいろいろとされていると思います。その辺がかなり苦労する点かという気がします。
 ピアネットさんがそういうパソコンを持ち寄っての学習会、勉強会、講習会あたりをどうしているかを、少しお話しいただきたいです。

(小川) 1年前までは先ほど言いました、マルチメディアサロンという所がありまして、そこでずっと勉強していましたが、去年なくなりましたので、この1年間はずっとジプシー生活をしています。会場があちこちに行って、「今回はどこ?」といった感じです。
 そのときに、ノート型パソコンとプロジェクターは買いました。買いましたと言うと、「どうやって?」と思うでしょう。それは、今回のこの研修と同じように、電気通 信普及財団に申請して、その助成金でそのセットを買いました。その申請の内容が、障害者の自立と社会参加のためにパソコンを利用して活動していくのだということで、2つ。1つはパソコンボランティアの勉強会をしたいと。もう1つは、障害を持っている人が在宅勤務ができるための環境作りをするのだと。そういう2つの理由でパソコンを買いました。あと2〜3台ないと、例えばエクセル、ワードなどを勉強するときに大変なので、個人のコンピューターを担いで持ってきてしているという現状です。

(佐々木) ありがとうございました。川崎PSVでは、いわゆる「訪問型」だけではなく、最近は相談会で、来た人にパソコンを触ってもらう機会を恐らく作っているのではないかと思いますが、そういうときのパソコンはどうしていますか。

(梅垣) まず1台はパソコンを買いました。ノートパソコンとプリンター、あと障害者用の入力機器やソフトウエアなど、一通 り買いました。それは主に会員がそういうものに慣れるためでした。その後相談会をするようになりまして、ある方から3台ほど要らないノートパソコンがあるということでいただいたり、それ以外にもくれるという話はあります。やや古いパソコンではありますが、相談に乗るというレベルであれば十分使えます。いただいたものが3台ありまして、都合4台です。あとは個人でパソコンを持ってきます。台数が多いとメンテナンスをしなければいけなくてかえって大変なので、増やすつもりはあまりありません。ですから必要な台数で今はやり繰りをしているという感じです。
 ついでにお話ししますと、日本障害者協議会もパソコンリサイクル事業をしていまして、その中では超大手企業から300台パソコンをもらってきて配ったりといった活動をしています。
 何度かパソコンを配布しておりまして、皆さんににお話ししますが、またちょうど今、動いているものがあるらしいという先物取引情報がありますので、もし、例えば講習会のためにパソコンが何台欲しいということがあれば、日本障害者協議会にお問い合わせをいただいたり、そこがしているメーリングリストがありまして、そういうものに入っていただいたりすると、こういうお得な情報が流れることになっています。そのお得さ加減はかなりすごいです。普通 はリサイクルのパソコンはOSが付いてきません。Windowsが最初から全部セットになっているもので、CDが残っていれば一緒に来ますが、企業は大体そういうものが残っていなくて、本体しか来ません。ハードディスクは全部きれいになっています。それでは困るので、マイクロソフト社にお願いして、OSはくださいと言って、ただでもらっています。ただでもらってインストールをして、障害者にお届けする、あるいはボランティアグループにお届けするという活動をほそぼそとしています。いいタイミングで出物があれば皆さんにもチャンスがあると思いますので、ぜひご活用ください。

(佐々木) ありがとうございました。そういう展開の中で、今話してくれたことの横浜版あたりの岡村さんが話を少ししなくてはいけないのかということで、よろしくお願いいたします。

(岡村) 私はNPOの「アニミ」にも属していますが、その日本障害者協議会の横浜版ということで、実際、古パソコン事業を既にしております。私たちのところはマイクロソフト社とつながりが全然無いので、ただでOSをくれるという話ではありませんが、とりあえずリサイクルのパソコンを安価で分けているのが現状です。ノートパソコンも入り始めている次第で、結構年間何百台というパソコンが入ってくる予定になっております。まだはっきりとOSやサポートのところがクリアしていませんが、今は大体身近な人たちにお売りしているという現状です。
 ついでに、今予定しています活動場所は、予定では平成15年度に「横浜みなとみらい21」の中に私たちでインターネットカフェのような、要は障害者、高齢者、いろいろな人たちが集える拠点を作ろうとしております。ほぼ、平成15年度にはできる予定です。
 それと、都筑区の中に荏田という所がありますが、そこでやはり同じように地域の人たちが集える場所ということで、インターネットカフェのようなものを地域の活動拠点みたいなもの、いわゆる福祉のまちづくりとか商店街の活性化も含めた活動の拠点を今、計画しています。
 そういうところで、新横浜の話に全然移れないのですが(笑)、すみません。

(佐々木) ありがとうございました。リサイクルパソコンというと、一昔前はペンティアム100でメモリが16メガなど、今だととても売れそうもないものでした。最近では企業の利用回転が速くなって、今、岡村さんの所で手掛けているパソコンではペンティアム3の550で、メモリ128、LAN内蔵というピカピカのパソコンで、リサイクルパソコンと言っても、十分講習会などで使える水準のものが出てきていますし、我々自身がそういうものを要求する中で出てくるといった可能性などもあります。過去にも神奈川県内の中で要らなくなったパソコンをくれるという、東戸塚辺りのNTTテクノロジーなどいろいろとありましたので、そういう企業と連携するような活動。単に一つのパソコンボランティアの団体だけではなく、こうして今日はここにいろいろな団体が集まっているので、団体同士がいろいろとそういった情報を分かち合いながら・・・。それから場合によっては団体で行動して、いろいろな企業に働きかけていくということも、これだけ頑張っている人たちがいるのですから、いろいろとお願いしていくというきっかけにもなると思います。やはり一つの実績というのが大きいのではないかという気がします。
 時計を見ますと、2時50分で、「ああ、いい時間だな」ということですが、「これからのパソコンボランティアは?」というテーマです。そこで皆さんに語っていただきたいのですが、これからパソコンボランティアとして、「こういうような展開をいろいろと考えている」と。岡村さんは少し今、先走って話をしてくれましたが、例えば私は40ン歳ですが、あと10年たつと50歳です。小川さんは「俺、60歳だよ」という話を先ほどしていました。今の日本の世の中を考えてみますと、1億2千万人の人口のうち、50%は50代です。これから先、どんどん高齢化が進んでいくというときに、やはり皆さん元気で生きていきたいというところがあると思います。我々自身のことを考えるとそうです。実際にドリナビで活動されている方の中で会社のOB会みたいなものをされている方がいて、そこで今年はOB会の機関誌を作られるそうです。その機関誌の中にお手紙などをいろいろと書いてくると、そこに高齢者になって退職してから、いろいろな苦労をされて、病気を持ったりしながら、でも、そういう中でコンピューターの話がいろいろとあったりして・・・といった話を昨日しました。今、ここに若い人たちも20年、30年たったときに、コンピューターがもしかしたらないかもしれません。全く別 のメディアになっているかもしれません。そういうことで、これから未来を切り開いていくということにかかわって、パソコンボランティアの活動はこれからどうなるのかということを、我々自身の夢を語ることで、このシンポジウムを閉めていきたいと思います。
 それでは、若い順でいきましょうか(笑)。まだ10年たっても十分若い人ということで、菅谷さんお願いします。

(菅谷) 先ほど少しお話ししましたが、障害を持って生活をしていますと、やはり体の調子が悪いと家から出にくくなったり、外の世界と接する世界が結構少なくなあります。あと、ご老人の方たちの話をいろいろと聞いていますと、外と接する機会がなくなったり、それこそ宅配便のお兄さんとしかお話をする機会がないという人もいらっしゃって、そういうことが少しでもクリアできるツールとして、そして私としては、そのお手伝いができればいいなと思います。私がそれを実践することによって、「ああ、あいつができるんだから、自分もできる」と思ってほしいと思って、これからも頑張っていきたいと思います。
 あとは、今、メールで遠距離恋愛も頑張っていますので、「みんなもそういうこともできるぞ」というのもいいかなと思います(笑)。

(佐々木) 非常に大切なポイントが出たと思います。
 それでは、若い順というと丸山さんですね。岡村さん、間違えないように(笑)。

(丸山) これからのパソボラ。すごく難しいテーマですが、なるべく簡単に話していきたいと思います。
 パソボラをするときに、どういうスタンスでというか、どのように取り組めばいいかということになるかもしれませんが、パソコンというのはまず、単なる一つの道具です。それを使って何かをして初めて、パソコンの意義というか、効果 があると思います。
 シャ乱Qのリーダーのつんくを知っていますか? 最近「モーニング娘。」などをプロデュースした人です。ある人のサポートに行ったときですが、その人がどうしてもつんくのホームページがどうしても見たいと。視覚障害の人です。つんくのホームページが見たいから、まずはインターネットの練習がしたいと言います。それで依頼をしてきた人ですが、そういう「これをやりたい」で、それをこちらがサポートすると、それを見ることができてすごく良かったいうメールが来ました。やはり、単にパソコンやインターネットの使い方を覚えたいだけですと、勉強する方も教える方も今ひとつというところがあると思います。例えば、先日購入、サポートした人は、天童よしみという演歌歌手がいるらしいのですが、その人の情報が知りたいと言っていて、「なるほど」と思いました。そういった、パソコンを使うことによってその人の新たな世界が広がる。そういうことを手伝えるということは逆にサポートする人にとっても、して良かったなと思える、感じられる時だと思います。ひょっとしたら趣味をとおしてその人と仲良くなったりするかもしれませんし、更に交流が広がっていくと思います。パソコンをとおして人と人とがつながりあっていける、そのつなぎの役にパソボラが使えると、すごく地域の活性化と言うと何ですが、近所づきあいがまた新たに生まれるのではないかと思いますので、そういうグループに今日来ている方もどんどん参加してほしいと思います。

(佐々木)今、「つなぎ役」ということで、ひと言司会がしゃべります。
 ここでDream Navigator Yokohamaが相談会を2カ月に1回横浜ラポールと一緒に開催していますが、一番始めに「受付」があって、そこにはいつも私が座っています。そこで受付をして、「今日はどういった相談でいらっしゃいましたか?」と言いましたら、「パソコンを使いたいと」。「パソコンで何をしたいのですか?」と言うと、「パソコンを使いたい」と。「パソコンでどんなことをしたいのですか?」と言うと、「パソコンを使いたい」と・・・。ずっと繰り返されます。そういう方は多いときは60人くらい来るのですが、半数くらいは実はそういう方で、とにかく周りがパソコンを使っているし、パソコンを使うと何かができそうだけれども、自分で何をしていいか分からないというのが正直なところです。そこで受付でいろいろなお話をまずします。ご家族でパソコンを使っている人がいるかなど、そういうことを聞き出していくと、「実は私の娘がヨーロッパに行っているんだ」と。「ヨーロッパに電話をかけるというのは私は勇気が要る」と。確かに言葉の問題などいろいろとあったりしますが、電子メールを使うと郵便や電話が関係なしに、日本語でどうも会話ができるらしいということを聞いたと。確かにそうです。いろいろな話をしていく中でパソコンを使う目的がようやく出てきて、「じゃあ、電子メールの使い方について、ちょっとやってみましょうか」といったような話にそこから持っていきます。
 パソボラは「つないでいく役」がすごく大事だし、これからの時代はいろいろな人と・・・。私自身、受付の役をさせていただいていることが一番・・・。要はメンバーのことをとりあえずよく知っていて、若い人が来たら岡村さんを相談員にしてはいけないなとか、そういう役割を担っています。そういうことをさせていただいている中で、いろいろな方がパソコンを使って最終的に何かをしたいと思っていることを引き出していく役割がすごく大事だと、今、丸山さんのお話を聞きながらあらためて思いました。
 それでは次に、若い順と言いますと梅垣さんのようですね。まだ岡村さんではないですよ(笑)。

(梅垣) 僕の方が若いですね。
 さて、ではこれからパソコンボランティアはどうなっていくのだろうかといった話ですが、皆さんもそういう話をしているので、僕は、誰が障害者を支援していくのかというような、もう少し枠の広い話をしたいと思います。 
 ちょうど今手元に、日本障害者協議会が緊急提言を出しという、2001年4月9日付けの福祉新聞がありまして、その緊急提言を検討する委員に私もなりました。ちょうど1年前に提言したのは、1つ目に「障害者が参加できるIT講習体制の実現を」と出しました。IT講習会がこれから始まるということでしたが、ところが障害者向けのIT講習会を全然していないという、それは非常に緊急課題なのできちんとしなさいと。きちんとした横浜のような例もあるのですが。
 2つ目。「物と人によって情報の格差是正を推進すること」。これは、「物と人」ということが大事です。「物」というのは、先ほど私が申し上げた「技術」と言い換えてもいいですが、実際それの1個目に「日常生活用具にパソコンや周辺機器、携帯電話を含める」と書いてあります。さすがに携帯電話はまだ入っていませんが、パソコンは日常生活用具になりました。我々のパソコンボランティアの活動を推進して、皆さんの力をいただいて、日常生活用具にパソコンが入りました。これは私たちが大いに努力した、あるいはパソコンは本当に障害者にとって必要だということを毎日の活動の中で実施をしてきたことの成果 が現れたのではないかと思っております。ここで大事なことは「物がないと駄目だ」ということと同時に、「人が必要だ」ということです。例えば専門家の人材を育成しなければいけないということや、あるいは当事者や支援者が相談できる専門機関みたいなものが必要だと。それと同時にボランティアが支援しなければいけないと。要するに、専門家も必要だし、行政機関のようなものも必要だし、ボランティアも必要ですよと。こういう「人」と「物」が結びついて「支援」が成り立っていくのではないかと、この提言では言っています。もう1つありますが、割愛します。
 要するに「人」と言ってもボランティアグループがあるだけではやはり駄目です。例えば障害の重い方にどう支援していくかという問題もありますし、車いすのようなものもそうですが、その人に合う機械をどのようにして選んでいくか、作っていくかという問題があります。ですから、そういうことができる専門の医療にも詳しい、リハビリテーションもできる専門の方が必要です。残念ながらこのリハビリテーション専門家の分野はどちらかと言うと、縮小されそうになっています。横浜の場合はそうでもありませんが、全国的に見るとリハビリテーションの中でコミュニケーション、コンピューターの分野をしている人は、はっきり言えば、非常に冷遇されていると思います。例えば行政が機器のセンターをきちんと作っているかというと、神奈川県はこれからそういうことをしようとしているみたいですが、機器のセンターがあったり、そこで相談できる人がいたり、そういう状況にはやはりなっていません。この役割をボランティアが代わりに、仕方なくしている部分が大きいです。ですからこういういろいろなメニューを我々は用意していかなければいけません。私たちはパソコンボランティアの活動は楽しく、息長くすればいいのですが、それと同時にそれ以外の国の施策であったり、専門家の育成であったり、いろいろなチャンネル、NPOを作ることであったり、そういう多層的なサポートを障害者に提供していくということがこれから不可欠になってくると思います。
 高齢社会だそうです。私は高齢社会といってもみんなが元気であれば、それほど恐ろしいことではないと。我々も何とか健康を保って元気に頑張っていけば、そういうことは全然問題ではなくて、例えば自分が多少目が見えづらくなったときに、それを補助する機械やソフトがあったりすれば何も怖いことはありません。むしろ我々はそういう力によって、将来の日本を豊かな国にすることができるのではないか。そのためにボランティアがいて、そして専門家がいて、そういう「人」と「物」の関係を大きく広げていかなければいけないと思います。
 10年くらいすれば、パソコンはなくなると言われています。今のかたちのパソコンはなくなるけれども、今とは違う新しいパソコンが多分あって、そこにはパソコンボランティアという人が多分活躍しているのではないかと思っています。

(佐々木) ありがとうございました。それでは岡村さん、お待たせしました。

(岡村) 待っていました(笑)。
 今の梅垣さんのお話ですが、いろいろな「活動」は「必要」から生まれてくるのです。必要だからいろいろな活動があって、その活動が制度になり、その制度がまた法律になり・・・というかたちになってきます。
 午前中に梅垣さんが「ボランティア」という言葉はあまり好きではないと話されていましたが、私もそう思っています。人それぞれボランティア感は違いますが、いわゆる「障害者、高齢者に何かをしてあげるんだ」ということがボランティアだと。「何かしなきゃ」、「手助けしなきゃ」という・・・。手助けすることよりもその人ができるように、できないことを助けてできるようにする後押しの支援、そこが一番重要な部分ではないかと思っています。例えばパソコンボランティアのようなところで、私たち障害当事者は相当パソコンに熟知していなければできないのか。高度なところはそうでしょうが、導入部分はいいのです。
 私ははっきり言ってパソコンのことはよくわかりません。あまりパソコンも好きではありません。パソコンに使われていますが、時たま相談員もしています。相談が来て、私が分からないことが結構あります。相談されている方に「えっ、こんなことがあったんだ」と教わるようなことが多々あります。分からなくても私の周りは分かっている仲間がたくさんいます。分からなければその人に僕がまた聞いたり、「僕が分からないからBさん、ちょっとお願いしますよ」といったつなぎ役をすればいいわけです。逆に私の周りはそういういろいろな方面 でのプロフェッショナルが周りにいっぱいいてくれるということが結構強みです。
 それと、いわゆる障害者を持った人がボランティアを受ける側、健常者がボランティアをする側といったような、何だか知らない図式があります。障害者を持っている人たちがボランティアをするとか、先生になって講師になるとか、そういうことを私はこう進めたい、ということもできる人が、できることをしておかしくないです。またピアカウンセラーではありませんが、「ピアボラ」といいますか、その仲間同士、同じ障害を持っている同士、やはり時間の流れなど、いろいろとあります。例えば手に障害を持っている人がキーボードを打ちます。両手が動いてパタパタと打てる人からすると見ていてまどろっこしいです。でも同じ障害を持っている人たちであれば、同じ時間の流れを共有できます。待っていることができます。ついつい待っていられないから手を出して、「こうやるんだよ」となってしまったり、イライラしたりします。その時間の流れを理解してほしいと思います。僕も頭では理解できますが、なかなか待っていられなかったりします。
 そういうこともあって、いわゆる「ピアボラ」といったものどんどん進めていきたいし、将来はボランティアをする、される、ということではなくて、一つのツールを使ってみんなで話し合って、相談し合って、助け合いながらしていくと。ですからその中で一番大事なことはコミュニケーション、やはり「人」なのかなと。一つのコンピューターはツールであり、毎月そういう会があれば、定例会に出て、定例会が終わったら飲みに行くとか。定例会はどうでもいいです。後の飲み会の方がすごく盛り上がったり、大事な話があったりします。私は飲み会が好きで定例会に出ています。ありがとうございました。

(佐々木) そこで終わりですか(笑)。

(岡村) そこで終わります。時間が結構過ぎたので。

(佐々木) 定例会に出て、飲み会だけに来ているのが、最近の岡村さんの事情だという話もありました。
 それでは小川さんにここで閉めていただいて、その後に、今日朝からいろいろと聞いていて質問などもみなさんの中にあるのではないかと思います。小川さんの話の後に、皆さんの方から2〜3、質問を取りたいと思います。とりあえずこのシンポジウムを閉めていくかたちで、小川さん、ひと言よろしくお願いいたします。

(小川) 夜の帝王ではなくて・・・昼間ですか(笑)。この辺の新横浜をほとんどバリアフリーにしたのは岡村さんです(笑)。チラシを配ってあると、そこに行きたいと言って無理やり車いすで行くということを何回も繰り返していると、車いすで行けるようになるという活動をされています。手伝ってくれたり。あゆちゃんは遠距離恋愛をしていますね。先ほど丸山さんが打ち合わせの時に話をしてくれたのは、メールで友達になって、そのときは目が不自由だということを知らないで、すごく仲間になって「会おうか」と言ったときに、「実は目が不自由なんだよ」と。ですが、その前に目が不自由かどうかは関係無しで仲間になってしまうという。これがパソコン通 信やインターネットのいいところだと思います。
 別の話になりますが、小児マヒの69歳のお年寄りお宅におじゃましました。その人はお母さんが亡くなられてから今までずっとお父さんに育てられた。家にずっと住んでいました。何が楽しみだったか。ラジオです。体が不自由ですからずっとベッドの生活で、ラジオとカセットが頭の上にあって、お菓子がこちらにあって、こちらにポータブルトイレと、しびんが置いてあります。日常生活に必要なだけの体の動きができる。それ以上は拘縮しているという体で長年生活してきている。一歩も外に出ない。もしかしてこれが座敷ろうの生活をしていたお年寄りなのかなと。
 重い話で申し訳ないですが、昔の障害を持っている人は家の中でひっそりと生活をしていました。それで思い出しました。僕が地域福祉の職員だったころですから20年くらい前でしょうか。「おんもに出たい」という活動がありました。障害を持っている人がおんもに出る、外に出るという活動をずっとしましたが、外に出る活動をしようと思っても行くところがありません。どこに行きたいかも分かりません。それはもっと深い問題があって、あゆちゃんがこの間テレビで出たテーマですが、前の大人はそのように隔離されていたと。もう一つは、今、教育を受けている障害を持っている人の多くは、養護学校を卒業しています。そうすると一般 の学校と違うので、なかなか一般の人たちと混ざり合うことができません。具体的にその壁を取り除いているのがインターネットだと思います。
 そしてもう一つ思い出したのですが、今ピアネットの中でずっと論議になっていたのが、技術系の人と福祉系の人の闘い。そういうことを言ってはいけないのですが(笑)、常にあります。どのようにあるかというと、技術系の人たちはインターネットがつながったからいい、活動終了と。でも福祉系の人たちはあまりいませんが、「私は理科系が苦手なので福祉に来たのに、どうしてコンピューターをしなければいけないの?」というような感じの人が多いです。しかし中にはよく分かっている人がいて、「インターネットにつながったことからが始まりだ」と。そこから仲間になったりするのではないかと。そこを大事にしなければ駄 目だよと。何のためにするのかというようなことを両方で闘わせる。やっと技術系の人たちもそれに気が付いてきたというのがちょうど今の時期ではないかと思います。ですからぜひ、福祉系の人たちは、コンピューターは人の可能性をどんどん開くのですからぜひ勉強してもらう。そして技術系の人たちはもっと障害者の歴史や、つまり障害者をそのようにしてしまったのは一般 の僕たちですから、僕たちの心の中のこともよく考えて、その上でみんなの可能性が開けるような、そういったパソコンボランティアの活動がこれからできていくといいなと思っています。以上です。

(佐々木) どうもありがとうございました。
 それでは、少し時間が過ぎていますが、朝から聞いていてどうもこのことについて疑問だということがありましたら、2〜3、質問していただいて、それに答えて終わりたいと思います。いかがでしょうか。
 では、そちらの後ろの方。

(佐藤) 大和市から来ました佐藤と申します。私はパソコンに関しては20年近くかかわってきて、小学校のパソ通 が始まったころから、友人のお宅でよくしています。正直に言って、僕も養護学校に送られそうになったことがあります。僕は今で言う引きこもりだとか、家庭内暴力などいろいろなことをしてきた中で、コンピューターをとおして、通 信や、いろいろな人とのかかわりなど、それ以外にもボランティアを自分でしながら、普通 の学校に行って、大学を出ました。
 そういった中でもネットのほかにも人のつながりがすごく深くかかわってくるのですが、どうしても障害者と健常者の気持ちを理解できる人が少ないです。その中でいかに、ネットだけではなくて、社会に出て、きっかけのほかにそこを広める窓口がまだ少なすぎるので、これからどのように展開されていくのかを知りたいと思っています。あと、そういう狭間の人を救うすべが全然ないし、そういうものを発信する人がいないので、そういうところの救済と言いますか、ボランティアをどのように考えておられますか。

(佐々木) まず、ここは岡村さんですね。

(岡村) 私も障害を持っていまして、視覚、聴覚、知的、肢体、精神、いろいろな障害がありますが、情報障害というか、情報が取りづらいです。インターネットなどは非常に役に立っています。その情報が今度は入るようになってきて、来年度からの支援費制度のような感じで、自分で決定をしなければいけないとか、選択をしなければいけないということで、人との交わりやいろいろな経験がないというところで選択ができなかったりします。まず、人と接する機会を持つ。メールでも何でも話す。そして、そこで接することができる場所が今、ご指摘のように非常に少ないと私も思っています。ですから私が今、横浜で考えているそこに来れば、いろいろな情報が取れますよ、人と接することができますよ、という情報コミュニティサロンのようなインターネットカフェを併設したサロンみたいなものを考えています。ぜひ、皆さんの所でも、地域の中で気軽に歩いていけるような場所を。ケアプラザなどでもいいです。今はケアプラザなど高齢の所はかなり増えました。でも障害の部分に関しては非常に弱い。来年度からその辺に力を入れていく。行政の方も力を入れていくと申しておりました。一緒に作っていきたいと思います。
 こういうことで、答えになっていますか。よろしいですか。

(佐々木) お隣にその辺りを聞いた方がいいですか。

(菅谷) パソコンだけに限らないと思います。今、岡村さんが言ったように老人の方に対しては結構力が入っていきたという話で、障害を持っている人には少ないというのは・・・。外に出ていない障害者がたくさんいるから周りも分からないと思うし、やはりすべてを分かってあげることはお互いに無理だと思います。でも、分かり合おうという姿勢がないと、やはり先には進まないと思います。「どのようにしてくれるのか」ではなく・・・。私はよく、恋人同士や夫婦はお互いが男と女で別 々で、でも分かり合おうとしなければ歩み寄れないから、長続きしなくて一緒にいられないという例え方をしていますが、それは友達同士でも障害者同士でも、障害者と健常者でも同じだと思っています。
 私はまだ若いとよく言われるので、若いと表現しますが、遊びに行きたい障害者はたくさんいまして、ケアプラザとか堅苦しいものではなくて、カラオケやゲームセンターで私はいいと思います。そこへ車いすでちょっと行けることができるような楽な所だったり、私としては手があまり上まで上がらないので、洋服を買いに行くときに車いすの高さでも見えるところにあると良かったりとか。それこそコンビニでジュースを買いに行くだけでも外の人と接することがあるので、行けるまでの道さえ舗装されていれば、あとは人に頼めば何とかなると。何とかなっている人がいると知るのはパソコンだったり、ネットの情報だったりします。実際に「してみよう」というきっかけは人と人とのふれあいで、仲間同士だと思うので、勇気を与え合うのは本当に誰でもできると思います。「一緒に行こう」、「一緒にやろう」と言ってくれる人がいれば、これから少し変わっていくのではないかと思います。よろしいでしょうか。

(佐々木) 岡村さん、身につまされる話ではなかったかという気がします。では丸山さん。

(丸山) 障害者と健常者の接する機会が少ないという、これは本当に私も実は盲学校にずっと行って、その後、大学に行っていました。その前は実は予備校に1年間行っていました。予備校に行って、健常者の世界というと大げさですが、そこに入ったような錯覚になったりしました。それはやはり「見る」ということをしている・・・何て言うか、「見る」という行為が「自由だ」とそこで初めて分かります。それがやはり衝撃的でした。
 よく健常者の人から「視覚障害者の人ってよく分かんないんですよ」と言われますが、私の場合、逆に健常者のことがよく分かってなかったということがあります。やはりもっと接する機会が増えればいいのですが、やはり現状を見ますと、社会に出たいと思っていても、例えば段差が多いとか、交通 案内が十分でないから外出しにくいという、社会的なバリアというのが実際に存在しています。
 では、それをどうしていけばいいのかということです。これはパソボラから離れてしまいますが、外出を支援するボランティア活動をしている人も最近はいますし、制度上で外出を支援するヘルパーを利用できるという場合もあります。そういった情報を障害を持っている人たちに伝えていったりする仕組みを作っていって、「もっと出ましょう」ということを健常者の側からも障害者に伝えてほしいですし、障害者自身も自分が何か外に出たら、接したらこういうことが良かったですよ、ということを同じ障害者に伝えるとかして広げていくしかないと言いますか、そうやって地道にしていかなければこれはなかなか難しいと思います。少しずつでもそういうコミュニケーションの機会が増えるようにしていきたいということを私自身も思っていて、それを今後していこうかと思っています。

(佐々木) ありがとうございました。そういうことで、時間もないので、とりあえず当事者の方に語っていただくのが一番いいのかと思いましたが・・・。
 いろいろな団体がありますが、パソボラ団体はいろいろな障害を持っている人たちが集まれる場でもあるというところが特徴です。普段、視覚障害の人たちだけが集まっているケースが多いのですが、車いすの人、視覚障害の人、聴覚障害の人がいるということで、普段でしたら意識しないようなことなどもあります。例えば点字ブロックがあります。視覚障害の人にとてもいいのですが、車いすの人にとっては邪魔でしょうがありません。そういう話を率直なかたちで語ったり、実際に車いすに乗っている人を視覚障害の人が押してみたりすると、そういうことが分かったりします。先ほど「分かり合おうとする」とありましたが、障害者同士でも障害が違うことで、なかなか分かっていなかったことなどが、こういう活動を通 じて分かり合えるところが、我々自身の活動の中ですごく大きいのではないでしょうか。「障害者だから」ということはありますが、実は本当は何も分かっていなかったということが随分あります。先にコンピューターを使う中で、そういうことも我々自身が情報発信をしていこうということなども随分語り合ってきたところではないかという気がします。
 それでは、時間がないので、この辺で閉めていきたいと思います。
 もう一つだけこれはぜひ聞いておきたいということがありましたら・・・よろしいでしょうか。
 それでは、だいんぶんと時間が延びてしまいましたが、第1回の「パソコンボランティア入門セミナー」を閉めさせていただきたいと思います。
 第2回は4月27日(土)、「肢体障害のある方に必要な援助」。第3回は5月18日(土)、「視覚障害のある方に必要なツール・援助」。第4回は6月22日(土)、「知的障害などのある方に必要なツール・援助」、「聴覚障害のある方に必要なツール・援助」ということで、まだまだ続きます。一応、月1回ということでしています。
 それから4月27日と6月22日は午後にDream Navigator Yokohamaがこの場所を使って相談会を開催いたしますので、その相談会でどのようにしているのかということを具体的に見学をされても結構です。実習的な要素も含めてそういう場もあるということで、ご承知いただければと思います。
 それでは、これで終わりたいと思います。全体に向けて何か連絡はありますか。小川さん、お願いします。

(小川) 本日の研修会の要約をなるべく早くホームページに載せようと思っています。ピアネットのホームページにアクセスしてただければ、どこかに入っています(笑)。検索でも引っ掛かるということですので、ご覧になってください。
 1週間の間には数行頭出しだけはできると思います。よろしくお願いします。

(佐々木) それから今日参加されていない団体も含めて、神奈川県内パソコンボランティアグループリストが今日の冊子の中に各URL、ホームページアドレス等も入っておりますので、積極的にご活用いただければと思います。
 それでは、ほかに連絡とかよろしいでしょうか。

(岡村) 交流会を4時から横浜ラポール2階の「ボンジュール」で会費3,000円で2時間くらいしたいと思います。当日参加も受け付けますので、ぜひよろしくお願いします。

(佐々木) それではどうもありがとうございました。これで散会したいと思います。ご苦労さまでした。


    この事業は電気通信普及財団の助成を受けて実施しました。

・主 催 
ピアネット、Dream Navigator Yokohama、横浜ラポール
・協 力 
アニモネットワークサークル、川崎パソコンサポートボランティア、 鶴の恩返し、鶴見パソコンボランティア協会、あおばユニバーサル コミュニケーションボランティア、Y−CAP
・資料代  全回/2000円 各回/500円 (各回ごとの参加も可能)
・定 員 第1回/40人 以後各回/20人(障害者のパソコン利用に関心のある方)
・会 場 障害者スポーツ文化センター横浜ラポール 2階大会議室

◆セミナー日程

第1回


3月30日(土)
10:00 - 15:00

《10:00 - 12:30》
 ■「パソコンボランティアを実践するには」
  講師 梅垣まさひろ(川崎パソコンサポートボランティア)
 ■パソボラグループ活動紹介
《13:30 -15:00》
 ■パネルディスカッション(自由参加)
 「これからのパソコンボランティアは?」
 パネラー/梅垣まさひろ(川崎パソボラ)・小川美紀雄(ピアネット
       代表)ほか
  司会/佐々木夏実(Dream Navigator Yokohama代表)
第2回 4月27日(土)
10:00 - 12:00
「肢体障害のある方に必要な援助」
 講師 畠中 規(横浜市総合リハビリテーションセンター )
第3回 5月18日(土)
10:00 - 12:00

「視覚障害のある方に必要なツール・援助」
  講師 佐々木夏実(Dream Navigator Yokohama代表)
第4回 6月22日(土)
10:00 - 12:00
「知的障害などのある方に必要なツール・援助」  
  講師 齋藤憲磁(社会福祉士)
「聴覚障害のある方に必要なツール・援助」
  講師 鵜飼丈太(アニモネットワークサークル)